■ ジョーン・バエズ ―― 加藤秀夫さんの思い出 (2012.12.19)



久しぶりにジョーン・バエズを聞いた。たまたまAmazonで別のCDを探しているとき、ジャケット写真にさそわれ、思わずポチッとしてしまった。"TheBest of the Vanguard Years"というタイトル。輸入盤とのことでようやく2Wほどして自宅に着いたのだが。全12曲のうち聞いた覚えのあるものが少ない。"We shall overcome"とか"Let it be"を別にすれば、かろうじて"There but for fortune"(邦題「フォーチュン」)ぐらいなのだが。この曲はどこか記憶に引っかかる ……



1970年代の日本オーディオの興隆期。当時のオーディオ界には、二大巨頭と称された重鎮がいた。高城重躬さんと加藤秀夫さん。いまはお二方とも鬼籍に入られている。高城さんは徹底したホーンスピーカー派。ご自身が数学教師であることから、お得意の数学でホーンを精密に計算/製作された。低音はコンクリート・ホーンだった。→こちら

一方の加藤さんは、自ら精密工作機械を駆使して、カートリッジから、ターンテーブル、ホーンスピーカーまでシステムすべてを自作された。製品はいずれも市場の製品をはるかに凌駕する高性能だった。カートリッジに例をとれば、0.3グラムとかの超軽針圧MCタイプだったはずだ。終生、独自のモノラル再生の優位性を主張された。

その加藤さん宅、たしか世田谷だったか、にうかがった覚えがある。ちょうど今頃の寒い季節だった。大きな板張りの部屋に石油ストーブがあったような。もちろん雑誌の写真で見慣れたオーディオ装置も。コーナーに低音ホーン、優雅なスタイルのマルチ・セラーの木製ホーン、それにマッシュルーム・ベルと称する高音ホーン。配置は、残念ながら、今となっては正確に思い出せないのだが、加藤さん独自の――中音を離れて配置する分散型だったかもしれない。

加藤さんは、モノラルの優位性を説明すると、ターンテーブルにレコードを載せ、カートリッジを下ろし、パチンと天井の明かりを消した。流れてきたのは、ジョーン・バエズであった。曲を思い出せないのだが…… "There but for fortune"だったのか?

暗闇の中、眼前に等身大のバエズが立っていた。忘れられないオーディオ体験だった。







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