■ 『虚構世界の狩人――私的オーディオ論――』 瀬川冬樹の残したことば  (2013.1.28)



著者の瀬川冬樹さんは、昭和10(1935)年の生まれ。桑沢デザイン研究所でインダストリアルデザインを専攻した。オーディオ評論家として令名を馳せられたが、昭和56(1981)年おしくも逝去された。享年46歳。オーディオの魅力――魔力と言ってもいいのか――を感性あふれる文章で伝えてくれた。

本書もすでに刊行後30数年を経ている。"虚構世界"とは、瀬川さんの造語であろうか、いまも新鮮な響きを持ちオーディオの本質を示唆していることばだ。



瀬川さんはこう言っている。……たとえばバッハの無伴奏チェロ組曲を鳴らしてみる。左右のスピーカーの中央に独奏チェロがくっきりと浮かび上がるだろう。これが音像定位だ。左右のスピーカーの中央に音像が形成されると説明される。しかし、音そのものが両スピーカーの中間に物理的に形成されるのではない。その音像はあくまでも聞き手の頭の中にでき上がった錯覚なのである。錯覚というよりか人間の知覚のしくみと言い直す方がよいだろう、と。

人間の知覚そのもののしくみを応用してステレオというものが成り立っている。物理的な領域よりも、むしろ心理的な領域あるいは観念の世界そのもの。スピーカーは空間に音波を輻射するにとどまり、原音も音場もすべて聞く側の頭の中で形成されるイリュージョンに外ならないのである。

メカニズムによる原体験の再現――オーディオそのものだ――、はすべて人間の知覚のしくみを巧みに応用したテクニックの所産である。レコード音楽の生々しさとは、生らしさを感じさせるために作られた虚構の世界であり、他の多くの芸術と同じく創造の世界のものだ。

録音がたとえ悪くても、それを音楽として楽しませてくれるように、再生装置を調整するのが自分のやり方だと瀬川さんは言う。録音の悪いレコードに対して、どう調整してもそのアラをかえって悪い方向に強調してしまうようなタイプのオーディオ・パーツがある。これは好ましくないパーツだということになる。良い製品は必ず、どんな録音からでもそれなりの美しい音を抽き出してくれるものだと断言する。


◆『虚構世界の狩人 ―私的オーディオ論―』 瀬川冬樹、共同通信社、昭和55(1980)/8

人・オーディオ・リスニングルーム探訪 瀬川冬樹さん


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