■ 「ハーバードの作文教育」 井上ひさしの『ニホンゴ日記』から (2005.7.3)

かねてアメリカの作文教育は進んでいるとの話題は耳にしていたのだが、その実態を知る機会がなかった。井上ひさし著の『ニホン語日記2』(文春文庫)をのぞくと、ハーバード大学での教育についての言及があるではないか(226ページ)。

作文教育の先鞭をつけたの1885年 (明治18年) のハーバード大学とのこと。「論文がちゃんと書けるようになるための作文教育がどうしても必要である」と決断して、その年から作文を1年生の必修科目にしたとのことだ。
原著は確認できないので、本書から以下に引用してみよう。

アメリカの州立大学の1年生は、毎週1回、作文を提出することが義務づけられている。学生25名につき1人の作文教師がいて、学生の提出した作文を読み、綴字のまちがいや文法のあやまりを訂正し、短評をつけて返す。さらに作文教育を延長している大学もある。これは読書教育もかねている。

なぜ「ものを書く」ために「ものを読む」訓練をするのか。作文教育の主眼が、1に描写 (たとえば人体の筋肉の動きなど)、2に叙事 (下宿から大学までの道順など)、3に説明 (パソコンの起動の仕方など)、そして論証 (市場原理は信頼するに足るかどうかなど) にあるからである。

学生たちに要求されているのは、「ぼくが」、「わたしが」で始まるような自己表現的な文章ではなしに客観的で社会的な文章の書き方を学ぶこと。自分の感情や意見を訴える文章ではなく、事実を述べる文章をどう書くかの訓練を受けるのである。

「客観的な表現力の養成」とでも要約できるか。ここで、描写、叙事、説明、論証、ということばをもう一度辞書を引いて確認すると。描写;物の形体や事柄・感情などを客観的に表現すること。叙事;出来事・事実をありのままに述べること。説明;事柄の内容や意味を、よくわかるようにときあかすこと。論証;演繹的論証や帰納的論証、とある。


◆『ニホン語日記2』 井上ひさし著、文春文庫、2000/1刊



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