■ 『経済大陸アフリカ』 資源・食糧問題から開発政策まで (2017.2.16)







いまアフリカ大陸への中国の進出は他国をはるかに凌駕しているようである。対して日本の状況はどうなのだろう。ちょっと調べようと思って本書に行き着いた次第。2013年の刊行、執筆時の基本データは2013年前後か。それにしても中国の進出は、聞きしにまさるスケールの大きさであり、かつ10年を超える戦略的な取り組みであることが分かった。



今世紀にはいってからアフリカは継続的な高度成長を謳歌しているという。そして中国の積極果敢なアフリカ攻勢が大陸を席巻している。中国のプレゼンス拡大は1990年代後半からだ。いまや中国はアフリカにとって最大の貿易相手国であり、投資においても外交においてもきわめて大きな影響力をもつ国になっている。

日本もまたアフリカ見過ごすことはできない。日本とアフリカの経済関係をみると。自動車だけの「一本足打法」かと言えるほどに偏りがある。日本の輸出の半分が自動車であり、輸入の3割ほどがプラチナである。このプラチナはまた自動車の排ガス浄化のための触媒として使われるものだ。プラチナ世界総生産の8割は南アフリカ。自動車産業を持つ国はどこも南アフリカからプラチナを輸入する。それゆえ日本は南アフリカにとって最大の貿易黒字提供国になっている。日本とアフリカの貿易は自動車産業によって支えられているのだ。

さらに対アフリカ輸出を中国と比較してみよう。自動車輸出が拮抗しているが、他はまったく中国にたちうちできていない。中国はほぼあらゆる商品をアフリカに輸出しているが主軸は電器機械類。なかでも電話関連機だ。ほかに衣料品、鉄鋼製品、自動車部品、紙製品、玩具など。アフリカの需要は中国製品によって多くが支えられている。中国はすでにアフリカとのあいだにふとい物流チャンネルを築き上げている。

中国のアフリカ戦略はすでに1999年に基本方針が定められたという。世界の資源業界が投資攻勢にうってでるのは2003年以降だから、中国の先行ぶりは驚くべきことだ。かつて中国共産党がアフリカの植民地解放闘争を支援していたという長い歴史もある。

中国の資源エネルギー需要は膨張しつづけている。石油消費は1990年以降、年率7%で増大し2007年にはアメリカをぬいて世界最大の二酸化炭素排出国になった。資源暴食にくわえて。鉄鋼生産ののびも大きく鉄鉱石輸入の増え方も尋常ではない。鉄鉱石の最大輸出国オーストラリアの輸出の7割は中国むけである。ほかにも、ニッケル、アルミニウム、銅鉱石等々、いずれも急増している。世界の資源需要と資源貿易は中国を震源地として激変のまっただなかだ。

中国の目指す戦略的パートナーシップは資源獲得にとどまらない。軍事、農業、教育、医療、環境対策、文化学術交流など包括的な広がりをもつものに進化している。2007年にはナイジェリア発注の通信衛星を四川省の基地からうちあげている。2009年には中国の原子力開発組織が、南アフリカの原発公社と覚書を結んでいる。かつてアフリカに帝国を築いたイギリスやフランスですらなしえなかった広範な関係を、ほぼ10年でアフリカとの間に構築してしまった。中国版マーシャルプランでは。

資金投入のスケールは、世銀の対アフリカ融資額を大きく上回っている。背景には、中国内における過剰投資と過剰生産、そして世界一の外貨準備高がある。中国は資源を調達すると同時に投資先と市場を探し外貨の運用先を開拓しなければならないのだ。アフリカの奥地へと中国は積極的にわけいり経験も着々と蓄積している。

懸念はどこにあるか。リビアにおいては、中国はカダフィ政権にあまりに深く関与していた。リビア革命は中国にアフリカの政治リスクを強く認識させただろう。みずからが開発途上国である中国は、国際開発や対開発途上国政策において先進諸国との協議や協調を経験したことがない。アフリカにあまりにも深く関与した中国はアフリカの深部における錯綜した混乱に否応なく直面せざるを得なくなっている。アフリカにながくかかわってきた国々はアフリカ内政への影響力行使を不可避と考えてきた。共産党独裁で選挙の経験すらない中国が他国に民主化を要求できるわけはない。

日本は1954年にはコロンボ計画に参加して対アジア諸国援助をはじめ、円借款を急激に伸ばした。世界最大の貿易黒字をかかえていた日本は1970年代には、対アフリカ援助を増やし世界最大の援助国になった。しかし、大量のODAを投入してもアフリカの経済成長は困難な状態だった。インフラの欠除とか、相互信頼の欠如といった社会的要因があったのか。

日本はいかに取り組むべきか。著者によれば、アフリカの貧困問題が深刻化したのは農業の低生産性が最大の要因だという。経済発展の道筋はどこでも農業の生産性向上からはじまる。日本では明治期に成立した近代農学と農会技術員制度、第二次世界大戦後の米増産運動と農業改良助長法がこれに相当する。食糧生産性の向上がなければ農村に所得が回っていかず、工業化も起こらず、貧困削減は実現しない。

農業技術を親から子への伝承には、科学的開発と政策的普及のシステムにどうしても公的な介入がいる。社会インフラの構築が不可欠なのだ。輸出指向型工業化を実現するには農業革命が先行しなければならない。アジア農業を激変させた「緑の革命」の例がある。


◆ 『経済大陸アフリカ 資源、食糧問題から開発政策まで』 平野克己、中公新書、2013/1

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