■ 『青の美術史』 聖母マリアの色だった  (2010.2.16)





真っ先にピカソの「青の時代」を思い出すのではないだろうか、「青の美術史」と聞いたとき。その青はあまりに深く、見る者の魂を素手で鷲づかみするような衝撃がある、と著者は言う。「青」という色を手がかりにして、美術の世界をさまよい散歩してみようというのが本書のテーマだ。


「青の美術史」はラピス・ラズリの歴史とでもいえる。ラピス・ラズリは、アフガニスタンのごく限られた地帯に出土する、紺碧のような深い青色をもった宝石。中世を通じてずっと西欧にとっては、ラピス・ラズリは貴重な青であった。やがて、人工的な化学合成法が発明され、19世紀には、コバルト・ブルーなどによる顔料革命が進む。


中世・ルネッサンスを通じて、宗教画のなかで聖母マリアはほとんどつねに青いマントを纏っている。例えば、フラ・アンジェリコの「受胎告知」。
聖母マリアは青いマントをゆったりと肩から下半身をすっぽり覆うように羽織っている。キリスト教の図像学のコードに従えば、「青」はまずなによりも聖母マリアの色だという。

フェルメールの画面は柔らかな外の光がいっぱいに差し込んでいる。色彩が明度の高い「黄色−青」を軸にしている。代表作の「ターバンを巻いた少女」を思いおこせばよい。青いターバンと黄の衣服が対比的だ。

プルシャン・ブルーを巡るエピソードは世界スケールである。18世紀初頭にプロイセンで発見された、フェロシァン化鉄を基にした濃い青の顔料が、プルシャン・ブルーだ。ベルリン・ブルーともいう。この顔料が、18世紀後半からオランダ・中国経由で日本に入ってくる。とりわけ文政・天保年間に大量に輸入され、「ベルリン」が「ベロ」となって広まる。粒子が細かく伸びがよく安定している、まさに多数の摺にぴったりだ。「ベロ」が登場し、従来の青をほとんど駆逐してしまった。

ベロの青がきわめて効果的に、「水の青」「空の青」「遠さの青」に用いられた。葛飾北斎の「富岳三十六景」の出版が評判となる。その浮世絵が西方に渡り、大胆な構図、明暗法にとらわれない光の処理が西欧の絵画に大きな影響を与えたのだから。


平凡社ライブラリー 466『青の美術史』小林康夫、平凡社、2003/5 (原著:ポーラ文化研究所より1999/10刊行された)

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