■ 『ピアニストは指先で考える』 どうしたら楽譜を見ないで弾けるのか (2007.5.22)




青柳いづみこには、『青柳瑞穂の生涯』などの異色の大冊もある。中村紘子といい、この青柳いづみこといい、女性ピアニストに筆が立つ人が多いのはなぜだろう。

エッセイの注文などを受けると、その場で言葉が浮かんできて、音楽を聴いている間も頭のなかをかけめぐるそうだ。パソコンに打ち込むスピードも、ピアニストだからものすごいらしい。1分間に300字ほどか。指先から流れ出る点では音も言葉も同じだという。

この本のターゲットは、三十代の女性ピアノレスナー(ピアノ教師をこう言うらしい)とのこと。帯に附けられた惹句――ピアニストの身体感覚に迫る!――にうなずく。

しかし、ピアノを自ら弾くなんてことにはとんと縁のない、もっぱらCDを聞くだけの人間には、こんな文章におもわず引き込まれてしまう。ドビュッシーの『版画』の第3曲「雨の庭」のことだ。

「指先だけのテクニックでは、ドビュッシーの音楽は水から上がったおたまじゃくしのように干からびてしまう。ドビュッシーが大切に思っていたのはひとつひとつの音ではなく、それらが集まってできる音響体なのだから、そこには、ペダルの使用が不可欠となってくる」。

また、こんなのあり!?とばかりの天才音楽家や演奏家のエピソードにビックリする。あのアルゲリッチは、プロコフィエフの『協奏曲第3番』を睡眠中に聴いただけで弾いたそうだ。いままで1回も演奏したことがなかったのに。

最終章の、演奏家は聴衆を拡大する努力をすべしとの提言は、日本の実情をふまえてなかなか骨っぽいのではないか。音楽界には人材が溢れているが、需要と供給のバランスがくずれている。優秀なピアニストは多いがかんじんの聴衆が少なく、演奏の機会が極端に少ないと。これは、日本のピアノ界が長い間、自分のたちの周囲にのみ聴衆を求め、マーケットの拡大に努力してこなかったツケがきているというのだ。

日本には独自の自主公演制度がある。依頼されなければステージに立てない欧米に比べて、日本では自主公演によってアーティスト主導でことが運べるという。自分のアイディア次第で聴衆を開拓することができるわけだ。プログラミングを考えて、何かストーリーをつくるようにするとか。アンケートにも工夫を。

その演奏家と「知り合いだから」コンサートに来るのではなく。その演奏家のステージに感動するから、惹かれるものがあるからホールに足を運ぶ「本当の聴衆」を一人一人の手で育てる努力が必要だという。


◆『ピアニストは指先で考える』 青柳いづみこ、中央公論社、2007/5


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