■ 『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』 バッハの人間像が浮かんでくる  (2010.6.4)

この肖像画からは、バッハ自身の内面がそのまま放射されるような強い印象を受ける。ほとんど晩年(1746年)に描かれたものである。バッハが差し出している楽譜は《六声の三重カノン》とのことだ。カノン――知的な謎かけ、学識の精髄を示す対立法曲ともいえる――を自分のプライドのありかとして、示したのではないかと著者はいう。

本書の原本は1985年に東京書籍より刊行されたもの。今回の学術文庫版の刊行にあたり、大幅に改訂を加えたとのことだ。原本を読んだ記憶がかすかにあるが、それと比べると今回の著述は、はるかに心情的な表現が増えたのではないかと思う。誠実という言葉とともに、バッハに対する心からの讃仰が随所にあふれている。

――向上心を抱いて真面目に生き、悩んだり苦しんだりしている人のすべてに、バッハの音楽は語りかける。それは、バッハが一つの教義を信奉していたからではなく、人間を超えたものをいさぎよく見つめて、人生を深く生きたからである。したがって、バッハの本質を理解する鍵は、信仰の有無や宗派の手類ではなく、その人の人生経験の質であると、私は思う、と。

バッハの創作活動はコラールで始まった。コラールは、ルターと周囲の人々が宗教改革の情熱に燃えつつ制定し以後少しずつ書き加えられていったものである。バッハはそれを、同時代のどんな作曲家よりも、創作の源泉として重要視した。バッハの音楽はコラールのいしずえの上に緑の枝を生い茂らせたものだ。



バッハの生涯は3つの時代に分けられる。ワイマール、ケーテンそして最後のライプツィヒと。

ワイマール時代(1708〜1717)は、ヴィルヘルム・エルンスト公に仕え、オルガン音楽の若き巨匠として広く名声を確立した。公はヴィヴァルディの協奏曲から鍵盤楽器への編曲をバッハに依頼した。ここからチェンバロ協奏曲などが生まれ、バッハはそのさい学んだイタリアの新しい音楽語法、すなわち協奏曲様式に集約されるすぐれた構成と豊かな旋律性に無限の可能性をよみとり、作曲に幅広く応用するようになった。やがて《イタリア協奏曲》のような傑作も生まれてくる

ケーテン時代(1717〜1723)は、バッハの生涯において、とりわけ輝かしく幸福な時代であったといわれる。バッハは宮廷楽団を楽長として意のままに使うことができた。取り組んだもっとも重要なジャンルは協奏曲である。《ブランデンブルグ協奏曲集》がシンボル的存在である。

無伴奏ソロ楽曲でも傑作が生まれた。ヴァイオリン用の《ソナタとパルティータ》6曲、6つの《チェロ組曲》などである。それぞれ楽器の個性がよく反映され、ヴァイオリン作品が求心的で厳しく精密な作風であるのに対し、チェロ作品は堂々としておおらかだ。

平均律クラヴィーア曲集(第1巻)もケーテン時代である。序文には、「音楽を学ぼうとする若い人たちの役に立つように、……」とある。著者は、バッハは教育のための音楽(自分の周囲の人だけが弾く内輪の音楽に)に自らの天分と技倆を惜しげもなく注ぎ込んでいるという。もはや音楽的な問題ではなく、バッハの人間としての姿勢、生きるうえでの哲学に由来していると。

ライプツィヒ時代(1723〜1750)。バッハはトーマス・カントルとして、教会音楽をとりしきり主日(日曜日)・祝日ごとのカンタータ創作がもとめられた。また、聖トーマス教会付属学校の教師でもあり多忙をきわめた。

《ヨハネ受難曲》、《マタイ受難曲》という畢生の大作が生まれた。コラールの多い《ヨハネ》は共同体的な基盤の存在を強く感じさせる。アリアの多い《マタイ》は個人の感情に強く訴える傾向をもつ。

《マタイ》は2つの演奏グループを使い、第1グループは「シオンの娘」、第2グループは「信じる魂」である。第1グループは出来事を間近に見守る目撃者であり、第2グループは離れたところから思いやる信徒だ。慈愛に源泉があるのではないか。いわば、すべての人びとに向かって開かれている。時代を超え宗派を超えて感動をともにすることができるのである。


◆ 『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』 磯山雅、講談社学術文庫、2010/4

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