■ 『奇跡のホルン』 ホルン吹きはクルマが好きだった (209.3.10)

NHKラジオの第一放送、朝7時40分前後の、交通情報を流す時間帯がある。この時間のテーマ音楽というのか、いつもかけられるのが、モーツァルトのホルン協奏曲(何番だったか?)である。

まったく同じパッセージを、もう長年(10数年を超す?)繰り返し聞かされているので、交通情報とホルンの組合せが、刷り込まれてしまった。もう、このホルン協奏曲をまともに聞くことができなくなってしまったのは、残念である。

この演奏は、確信しているのだが、オケはカラヤンとフィルハーモニアで、そしてホルンはデニス・ブレインのはずである。これだけ軽やかに自在にホルンを扱えるのは彼しかいないと思わせる吹きぶりである。

先日入手したのが、この『奇跡のホルン』というデニス・ブレインの評伝とも云える書。1957年、彼は自らの運転する車の事故で不慮の死を遂げた。享年36歳だった。
デニスは1921年ロンドンの生まれ。ブレイン家は音楽家揃いで、父と2人の伯父、祖父が皆ホルン奏者だったとある。

クルマには目がなかったようである。EMIの辣腕プロデューサーだったレッグは、「デニスがいつもの悪戯好きで憎めない少年らしさをかなぐり捨てるのは、車の運転の時だけであった」と述懐している。

カラヤンとのエピソードも面目躍如。二人とも最新型のスポーツカーのスペックは全部暗記していて、いつまでも議論しても飽きることがなかった。デニスはフィルハーモニアの中で、カラヤンがファースト・ネームで呼びかける唯一の団員であったという。

カラヤンとのモーツァルトの協奏曲の録音風景が活写されている。
この録音はおおむね順調に進んだのだが、ある楽章の一部でカラヤンがふと疑問に思う場面があった。彼は、ソロ譜の該当箇所を指差そうと人差し指を立てたまま、デニスが立っていたもう一つの演台の方に歩み寄った。しかし、譜面台の上にカラヤンが目にしたのは、デニスが一心に読みふけっていた自動車雑誌「オートカー」の最新号であった!

デニス・ブレインが気に入っていた得意のレパートリーは次のようなものだ。
◆ブラームス:ヴァイオリン、ホルンとピアノのための《トリオ》
◆ブリテン:テノール、ホルンと弦楽のための《セレナーデ》
……この曲はピーター・ピアーズに献呈され、1943年初演された。
◆R・シュトラウス:ホルン協奏曲 第1番
……アルチェオ・ガリエラ指揮のフィルハーモニー・オーケストラとの録音こそが
自分の演奏を最もよくとらえたものであるとしていた。
いまTestamentからCDが出ているようだ。
◆ベルリーズ:《トロイアの人々》から《王の狩と嵐》
それと、もちろん
◆モーツァルト:ホルン協奏曲 第2番

オーケストラのソロでデニスが警戒していたのは、ベートーヴェンの交響曲第2番の緩徐楽章。
いつかこの曲で音を外すだろうと予言していたそうだ。
ある夜遅く、親友のホルン奏者に電話がかかってきた。「こちらデニス。外しちゃったよ」
……たしかに静かなホルンが鳴り続ける箇所がある。

◆『奇跡のホルン――デニス・ブレインと英国楽壇』 スティーヴン・ペティット著/山田淳訳、春秋社、1998/11

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