■ 『ショパン・コンクール』 圧勝!チョ・ソンジン  (2017.1.17)








ショパン・コンクールは1927年に創設された。第1回の参加者は8カ国から26人とこじんまりとしたものだった。5年の一度の開催。既に100年近い歴史があり、アルゲリッチなど多くのスターを生み出している。近年はアジア勢の活躍も目立つ。2015年の優勝者も韓国のチョ・ソンジンだった。ファイナリストに残る小林愛美の活躍もあったようだ。




本書は、2015年10月から3週間にわたって開催された、第17回ショパン・コンクール本大会の臨場感あふれる現地レポート。著者はエッセイストでも名をはせているが、本来はドビュッシーをテーマとしているピアニストでもある。ピアニストならではの心理分析とか内情暴露が興味深い。春の予備予選から秋の本大会までコンクールの全行程はほぼ1年にわたる。

ショパンコンクールの参加者には、演奏技術とともに、いかにポリシーをもってショパンを解釈し演奏するかが求められる。「楽譜に忠実派」と「ロマンティック派」の2つの流れがある。かつては「楽譜に忠実」こそが「正統的なショパン解釈」という風潮だったが、近年は解釈の自由化の波が押し寄せている。今大会の優勝者チョ・ソンジンは「楽譜に忠実派」だったようだ。

コンクールは、応募者が多いため,まず書類とDVDによる事前審査があり、一挙に3分の1にまで絞られる。審査結果でアジア勢が全合格者158名のうちのほぼ半数の75名を占めた。中国 26名、日本 25名、韓国 24名だった。アメリカからの9名のうち7名もアジア系。文字通りアジアのショパンコンクールといった様相となった。

予備予選は、4月13日から24日まで、ワルシャワ・フィルハーモニーの室内楽ホール(370席ほど)で開かれた。演奏曲は、練習曲(エチュード)3曲と、マズルカ1曲、バラード、スケルツォ、『舟歌』、『幻想曲』など10分程度。日本人コンテスタントは88名が応募したがDVD審査で25名になり、予備予選でさらに11名に絞られた。日本人コンテスタントのレヴェルは揃っていたようだ。

第2次予選には78名中43名が進んだ。アジア勢は5名ずつだった。韓国は8人中5人、日本は12人中5人、中国は13人中5人。日本人合格者は有島京、小野田有紗、小林愛美、須藤梨菜、中川真耶加。選曲や当日のコンディション、演奏順などほんの少しのことが勝敗を分けるようだ。

10月9日から第2次予選が始まった。練習曲(エチュード)とノクターンでベーシックな能力をテストする。音楽性と構成力、リズム感とセンスが問われる。第3次予選への結果発表では、日本人は小林愛美ただ一人。韓国は、チョ・ソンジン、チホ・ハン、スヨン・キムの3名。ほかにアメリカ3名、ポーランド3名、カナダ2名、ロシア2名、等々。第3次予選でもチョ・ソンジンは破綻を見せなかった。暗い色調のもの、明るいもの、サロン風の洒脱なもの、心情を吐露するドラマティックなものなどを巧みに弾きわけ、全体を緻密に構成した。

ついに、グランド・ファイナル(2015年本大会)へと、10月16日にファイナリストが発表された。韓国 チョ・ソンジン、日本 小林愛美、カナダ アムラン、……。グランド・ファイナルは10人が3日間にわたってヤツェク・カプシスク指揮ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団とショパンの『ピアノ協奏曲第1番or第2番』を演奏する。ピアノはスタインウェイ、ヤマハ、カワイ、ファツィオリから選択できる。イタリアのファツィオリは1981年に開発された新しい楽器。芳醇な色彩感が特徴。


いきなり優勝候補のチョ・ソンジンが、ファイナル初日に登場。完成度の高い演奏で隙を見せなかった。明るく爽やかな音。なめらかなピアニズム。指さばきは抜群だった。恣意的なルバートをしない端正なアプローチでショパンのピュアな若さを表現していた。結局チョ・ソンジンが優勝を勝ち取る。第2位は、シャルル・リシャール・アムラン、第3位はケイト・リウ。日本人として10年ぶりのファイナリストとなった小林愛美も、ファイナルの協奏曲では小さな身体でオーケストラを包み込むような演奏を聴かせた。採点では入賞まであとほんの少しだったようだ。まだ20歳なので今後が楽しみ。

国際コンクールというのは、開催国の国威発揚の場でもある。実力が拮抗する今日、同じピアニストが、あるコンクールでは成功し、別のところでは失敗するのはよくあること。コンクールというのは出場者の全体的な傾向、審査員の顔ぶれその他もろもろ、何がポジティヴに何がネガティヴに判定されるか、その場になってみないとわらないようなところがある。

演奏技術が拙く、弾けている/弾けていないの差が甚だしかったことはスポーツに似た基準で判定することもできたが、こんにちのように教育システムが発達してしまうと、技術面ではほとんど差がつかない。いきおい解釈勝負になるわけだが、「ショパンらしい演奏」とは何か?に対する答えはひとつではないだろう。
解釈についての基本的な姿勢というのが、分かれ道になるのだろう。ピアノの指導は門下制のため、ノイエ・ザッハリヒカイト(新即物主義)を旨とする流派は弟子も孫弟子も楽譜に忠実に、という価値観で育つ。そのグループはショパンはこのように演奏すべきだ、あれはショパンではない、などと感じ。正しい解釈と間違った解釈があると主張する。

小山実稚恵は5年前(2010年)にコンクールの審査をした。その経験から、日本人は点数をつければそこそこ行くが、積極的に次のラウンドに進ませたいかどうかを問うyes/no方式には弱い、と指摘している。日本の文化や気質特有の受け身の姿勢も問題だろうか。日本人の慎み深い気質、他人を蹴落とそうとせずうまく同化していこうとする気質。他人と競う場ではマイナスに作用するのか。
著者は、ピアノはヴァイオリンやチェロと違って大人の楽器しかないのが問題だという。子供の体格では大きな音を出せるはずもない。むしろ各関節でしっかり重さを支えられる手をつくるほうが先決だという。正しい弾き方を身につけないまま大きくなり楽器が本当の意味では鳴らないままにコンクールを受けつづけることになると。


◆ 『ショパン・コンクール 最後方の舞台を読み解く』 青柳いづみこ著、中公新書、2016/9

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