■ 『深読みシェイクスピア』 芝居の稽古場は発見の場である (2011.4.1)



著者の松岡和子さんは1996年からシェイクスピアの全戯曲の翻訳に取り組んでいる。彩の国さいたま芸術劇場では蜷川幸雄さんの演出でこのシェイクスピア・シリーズの上演が続いている。

さすがに外題が、『深読み……』なので、日頃シェイクスピアなど読んだことのない輩――黒澤明の「蜘蛛の巣城」に触発されて『マクベス』の上演に出向いたわずかな体験しかない――にはちょっとハードルが高いと思ったのだが。



読み進めると、やはりシェイクスピアの戯曲の奥深さが浮かび上がってくる。戯曲のひとつの台詞が、あの空高くそびえるゴシックの大聖堂を築き上げたひとつ一つの礎石のように、たしかな意味づけを持っていることを教えてくれる。

松岡さんは、戯曲の翻訳は書斎の作業だけでは絶対に完成しないという。芝居の稽古場は、俳優にとってばかりでなく翻訳者にとっても発見の場なのだ。彼らの疑問質問に答えているうちに、書斎では気づかなかったことに目を開かれると。

たとえば、『ハムレット』のなかのオフィーリアの台詞への疑問――王子ハムレットを前に、自分のことをnobleと言うなんて、いくら貴族の娘でも気位が高すぎない?――を、松たかこさんが、あっさりと解いてくれたそうだ。
「私、それ、親に言わされていると思ってやってます」と。たしかにこの尼寺の場は、あらかじめ父親のポローニアスに、こうしゃべりなさいと言われていたから、オフィーリアらしくない言葉遣いになっているのだ。そうに違いない。

『マクベス』の翻訳から得られた最大の発見は何でしたか、の問い。松岡さんは、"we"と答えている。この、当たりまえの単語をどう読むかによって、作品全体にたいする見方が変わると。
スコットランドの王ダンカンを城に迎えた将軍マクベスが、晩餐の席から途中で退座し、国王暗殺をためらって「例のことはもう止めにしよう」と妻に言う。それに続くふたりのやりとりには、どちらにもweがある。
マクベスとレイディ・マクベスは一心同体のカップル。ダンカン王暗殺計画に関しても夫婦は共同正犯で、マクベスが事を成就して王位に就くことを、強く願っている。結びつきの強さが、このweの使い方に端的にあらわれている。

「もし、しくじったら、俺たちは?」、「しくじる、私たちが?」と、weをはっきり訳したそうだ。


◆ 『深読みシェイクスピア』 松岡和子、新潮選書、2011/2

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