■ 『ゼムクリップから技術の世界が見える』 技術の歴史は失敗物語 (2010.11.17)



たしか単行本発刊の折りに、本書を手にしていたはずである。文庫ライブラリー化の機会に改めて読みなおしてみた。いつもながらのペテロスキーの柔軟な語り口に感心するとともに、工学系の学生への入門書として最適ではないだろうかと感じた。身のまわり至るところにある工業製品――パソコンはもちろんとして、なにげないペーパークリップでさえも――すべてが技術者の知恵をしぼった、工学的な設計の所産なのである。

本書の明確なテーマは、いわゆる「失敗学」と言っていいだろう。工学の歴史に成功の物語があったとしても、それは幾多の失敗を乗り越えてきたものである。失敗の物語は工学技術の基礎だ。単純なペーパークリップから、シャープペンシルの芯やジッパーにいたるまで、アイデアを実現するためには、ひととおりの過程では終わらない。その製品がどのような機能不全(失敗)におちいりかねないかを、あらかじめ予測できるか否かが成功につながると言う。

見るからに複雑な工業製品――ファクスとか飛行機など――の開発で技術者が取り組むのは、ほとんどが失敗の計算である。不具合を事前に予測して対応策を組みこむことだ。橋梁を設計するとき、技術者はどれだけの荷重を安全に支えられるか、また橋の中央部のたわみはどこまで許容されるか、をきちんと理解しなければならない。

ボーイング777ジェット旅客機の開発では、CAD(コンピュータ支援設計)が活用された。1機の飛行機には300万個を超える部品が必要という。膨大な部品どうしがお互いに干渉しないように正確なチェックをしなければいけないが人手では不可能である。どうしてもコンピュータによる設計作業が必須だ。何気なく手にするビールのアルミ缶にしても、不意の爆発を防ぐために慎重な強度設計が求められる。失敗が実際に起きる前にその芽をつむこと。

ペーパークリップ――最も単純にみえる工業製品が、工学の本質について多くを物語っている。この100年間に、針金のクリップだけでも何百という特許が認められたそうだ。それぞれが、自分のクリップがいかに「先行技術より優れている」かを主張している。たくさんの紙をクリップできる、取りつけやすさ・取りはずしやすさ、安全性・経済性等々。既存のクリップのデザインの欠点に対して、技術者が一つひとつ解決案を模索して繰りかえし取り組んだ証拠である

技術者の取り組む世界は、ネットワークやシステムの設計にも拡がる。アイデアを思いつき特許を取り出資者を確保するだけでは不十分である。例えばファクスであれば、伝送の標準化というアプローチが必須である。ファクスの送る側と受ける側が、それぞれ同一の伝送の約束に従っていればこそ、送受信が可能になり意味をなすのだから。


◆『ゼムクリップから技術の世界が見える アイデアが形になるまで』 ヘンリー・ペトロスキー著/忠平美幸訳、平凡社ライブラリー、2010/9
    (朝日新聞社から2003/8刊行)

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