■ 『反音楽史 さらば、ベートーヴェン』 クラシック音楽は高級か? (2004.3.18)




クラシック音楽は高級でポップスは低級。クラシックの演奏家は芸術家だがポップスの演奏家は流行歌手に過ぎない。ベートーヴェンを聴かずに美空ひばりばかり聴いているのは低俗な人間である。このような通説の因って来るところは、日本とかアメリカにある西欧文明コンプレックスだと著者は言う。そもそもクラシック音楽自体、19世紀のドイツ人たちが作り出した虚像なのだと。

本書の意図は、タイトルからずばり明らかなように「クラシック音楽」あるいは「音楽史」の通念を破壊すること。ドイツ人が書かなかった――彼らが見て見ぬふりをした、あるいは頭から否定しようとした実際の音楽史を露にすることなのだ。読み進むほどに、「目から鱗が落ちるとはこのこと」と実感したのであった。ドイツに都合の良い、ドイツに偏向した音楽史に今までいかにどっぷりと浸かっていたのか!

例えば、小学校や中学の音楽室を思い起こすと、いわゆる「楽聖」――バッハ、ベートーヴェン、ブラームスといった作曲家の肖像画がずらりと掲示されていたものだ。さらに、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、シューベルト、シューマンと並べても、全部ドイツ人ではないか。まるでドイツ人のみが高貴な音楽を書いたかのようだ。

18世紀のドイツはイタリア人とその音楽に完全に支配されていた。ドイツ人には音楽は書けないとさえ思われていた。19世紀に入ると世の中は急転する。イギリスに始まった産業革命とともに市民層が誕生する。音楽の世界ではベートーヴェンが出てきて、まったく新しい音楽を書いた。ピアノ・ソナタ『アパショナータ』とか『英雄』交響曲など。そして、ベートーヴェンが今までの音楽家とはっきり違うのは、聴き手は芸術家の前に跪け、という高踏的な考え方。

ドイツ人の国民性は歌より器楽に向いていたので、オーケストラ音楽を自分たちのために開発していく。ここから、ベートーヴェンを先頭に立ててドイツに偏向した音楽史が形成されるようになる。バッハを神格化し、ドイツ人作曲家だけを「楽聖」として音楽史に組み入れたのである。と同時に、厳格な形式をもったクラシック音楽こそ崇高かつ高級とのイメージが確立したのだ。

イギリスの音楽学者E・J・デントの言葉は痛烈な皮肉である。
「ドイツ人の器楽的な世界は、イタリア・オペラという梯子を昇ることによって初めて到達し得たものである。しかし新興ドイツは、一旦その梯子を昇ったあとで、それを蹴り倒し、以後は口を拭ってイタリアの梯子などは最初から存在しなかったようなふりをしている」と。


◆ 『反音楽史』 石井宏著、新潮社、2004/2


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