■ 『空白の天気図』 今年ほど、本書を読み継ぐのに相応しい年はないだろう (2011.11.8)




1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。直後の9月17日には、その広島を大型台風(枕崎台風)が襲い未曾有の暴風雨と洪水をもたらす。原子爆弾による死者および行方不明は二十数万人に上った。枕崎台風による広島県下の死者及び行方不明は2千人を越えた。原爆被害の巨大な影に枕崎台風の悲劇が隠されているが、いったいなぜ広島で台風で多くの――それも上陸地の九州の犠牲者数(442人)をはるかに越える――人命が奪われたのだろうか。


著者は、単なる事件の発掘だけでなく、原爆による殺戮と台風による災害という二重の苦難の中で、人々がどのように生きあるいは死んでいったのかを知りたかったという。とりわけ著者の心をひきつけたのは、死傷者や病人が続出し、食うや食わずやという状況に置かれながらも、職業的な任務を守り抜いた人々が実に多かったという事実であった。官公庁の職員、大学の研究者、医師、軍人、……。


広島地方気象台の台員たちに、著者は焦点を合わせる。彼ら自身が原爆炸裂の真只中に身をさらした被爆者でありながら、同時に原爆と台風という二重の災厄を科学の目で見つめていた観察者であったということだ。1945年9月17日の事件であったが、核時代に生きるわれわれにとって、いつ何時同じ状況下に置かれるかもわからぬという意味で、まさしく現代の危機を象徴する事件であった。

2011年3月11に発生した東日本大震災は、巨大津波による大被害をもたらしただけでなく、東京電力福島第一原子力発電所を壊滅的な状態に追い込んだ。放射能の危機にさらされた地域の住民は家をすてだ状態で避難を強いられることになった。
まさに昭和20年9月の広島の状況と重なる。原爆被災と1カ月余り後の枕崎台風災害という二重の災厄だった。いま直面しているのは、巨大地震・大津波による災害と原発事故という二重の災厄だ。

2つの災厄の態様は違うように見えるけれど、そこから読み取るべき問題の本質に変わりはないと著者はいう。人間が手をつけた核の危険性に自然界の脅威が重なることによって、人類史上前例のない巨大災害を引き起こした私たちの、便利さと効率優先のライフスタイルと価値観、経済と国策のあり方、ひいては文明のあり方が問われているということだ。


著者は、本書『空白の天気図』が作品のなかで一番好きだという。NHK退職直後の執筆でもあり愛着があるのだろう。綿密かつ膨大な取材に裏付けられた事実に圧倒される。ノンフィクションとして一気に読み進ませる迫力がある。今年ほど、本書が新たに読み継がれるのに相応しい年はないだろう。


◆『空白の天気図』 柳田邦男、文春文庫、2011/9 「核と災害 1945.8.6/9.17」

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