■ 『無人島に生きる十六人』 これは本当の話なのだ (2011.7.12)



これは本当に実話なのだろうか!?というのが読後の素朴な驚き。これほど楽天的と言って良いほどに希望を失わず、おまけにお互いの勉強まで計画的にすすめて、統制のとれた無人島生活をおくり、日本に帰りつくとは。解説の椎名誠がいうように、まさに「痛快!十六中年漂流記」だ。
いまの時期(7月)、この本が書店に平積みされていたのは、小中学校の夏休み目当てであることは間違いない。読書感想文とかの題材としてかっこうのものだろう。



龍睡丸――2本マストのスクーナー型帆船で76トン、は運の悪い船である。いつもは、占守島(千島列島)と内地との連絡にあたっていたのだが、この年(明治31年)は、小笠原諸島などで漁業調査を行い、春には日本に帰ってくる予定であった。
東京を12月28日に出港したあと、新鳥島付近で強い西風に翻弄される。大西風は1週間も続き、錨を失い帆柱も折れ飲料水タンクもやられしまう。どうにか、ハワイのホノルルへと避難する。ホノルルでは在留邦人の寄付をつのり龍睡丸の修理を終わる。ようやく、日本への帰途についたのは4月である。島づたいに航海をつづけ、ミッドウェー島に向かったのは、5月17日。

ここから問題の航海だ。5月18日には、サンゴ礁の小島と暗礁の一群――パール・エンド・ハーミーズ礁に至る。急に凪いで風がまったくなくなってしまった。錨を入れようにも、海底が深いので、しかたなく船を流しておく状態に。しだいに波のうねりが高くなり、潮のままにぐんぐん流され、ぐらんぐらんと大きくゆれはじめる。ついには、押し流されて、暗礁にうちあげられてしまう。
龍睡丸をみすてて全員(16人)が無事に岩礁へとうつる。伝馬船で島を探してそこに移動する。島は4メートルほどの高さ。珊瑚礁の小島で、面積は4千坪ぐらい。ここで救助を待って無人島生活を始めることになる。

避難生活は、船長のリーダーシップによるものとはいえ、おどろくほど全員の統制のとれたものである。最初の日に、船長が全員に言ったのは、「そろって日本へ帰ろう。愉快にくらすこと、できるだけ勉強しよう」。先の希望を見つめているように、絶望ということはないのだと。

日々の暮らしにはさまざまな工夫をこらした。水の問題は深刻だ。かまどで海水を煮立てて真水をつくるとか。そのうち、ちょっと塩からいがどうやら飲める井戸を掘ることができた。雨水をためて飲むことはもちろん工夫した。
帆船の水夫は工作が上手である。帆布をほぐして糸とり、よりをかけて魚網をつくる。イソマグロ、カツオ、カマス、シイラ、等々を釣り上げる。海がめは食糧として貴重だ。牧場をつくり、長い綱でかめの足をしっかりしばって、棒杭に結びつけて30数頭を飼う。

大切なのは精神的ケアだという。ぶらぶら遊んでいるのがいちばんいけない。毎日の作業はだれでも順番にまわりもちにきめた。見はりやぐらの当番、炊事、たきぎあつめ、まきわり、魚とり、かめの牧場当番、塩製造、宿舎掃除、など。

ついに、9月3日、海上遙かに帆船を認める。伝馬船を4時間以上もこぎ、やっと帆船に近づく。日本の船(的矢丸)だった。やはり漁業調査のため、このあたりを暗礁をよけて航海中であった。とつぜん水平線に2すじ3すじの黒煙が立ち上るのを見て、こちらに向かったとのことだ。全員が的矢丸に無事救助された。日本に帰着したのは明治32年12月23日であった。


◆ 『無人島に生きる十六人』 須川邦彦、新潮文庫、平成15年/7
    (この作品は昭和23年10月講談社より刊行された)

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