■ 『日本その日その日』 大森貝塚を発見したモース博士 (2015.6.18)






本書は、あの大森貝塚を発見したエドワード・モース博士の滞日日記である。博士は1877(明治10)年に、腕足類と称する生物を研究するために来日。請われて東京大学の初代動物学・生物学教授に就任した。翌年家族と共に再来日し滞在2年(1878-1879)に渡った。ダーウィンの進化論を紹介し一般向け講演も行った。

読後感はさわやかであった。なにより、明治初期それもまだ江戸の風景が残っているなかで、民衆を見つめる視線が温かい。近代の入口にたったばかりの日本をけっして蔑むような上から目線ではない。素直な驚きも披露される。細密画思わせるような、沢山のスケッチも興味深いものだ。現代の日本では失われて久しい自然の姿があふれている。


こんな風に描いている。…… 日本の町の街々をさまよい歩いた第一印象は、いつまでも消え失せぬであろう。不思議な建築、最も清潔な陳列箱に似たのが多い見馴れぬ開け放した店、店員たちの礼譲、いろいろなこまかい物品の新奇さ、人々のたてる奇妙な物音、空気を充たす杉と茶の香り、……。

この国の人々はどこ迄もあけっぱなしである。往来のまん中を誰はばからず子供に乳房をふくませて歩く婦人をちょいちょい見受ける。私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使は一日に数十回出入りしても、触ってはならぬ物には決して手を触れぬ。

大森貝塚(縄文時代後期)を発見したのは来日直後1877年のことだった。横浜に上陸して数日後、初めて東京へ行った時だ。線路の切割に貝殻の堆積があるのを、車窓からみて、即座に本当の貝墟だとわかった。文部省を通じて堆積を検査する機会を得る。学生を伴って現地に赴き、古代陶器の破片、細工をした骨、粗末な石器などを拾い集めた。素晴らしい発見に夢中になってしまったそうだ。この貝塚の発掘と出土品の調査は、日本の考古学の発展に大きく寄与した。

日本に初めてダーウィンの進化論を紹介したのもモースである。1877年10月6日、大学の大広間で「進化論」に関する第1講をやった。教授数名ほか500人から600人の学生が来たとのこと。聴衆は極めて興味をもったという。米国であったような宗教的の偏見に衝突することなしにダーウィンの理論を説明するのは誠に愉快だったと。ダーウィンの『種の起源』の1859年出版からはやくも18年後のことである


◆ 『日本その日その日』 エドワード・シルヴェスター・モース/石川欣一訳、講談社学術文庫、2013/6 (原本は1939年、創元社より刊行された)
<創元社版、講談社学術文庫版ともに抄訳。全訳は、平凡社「東洋文庫」に全3巻として収められている>

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