■ 『井上ひさしのニホン語日記2』 名付けることの大切さ (2004.8.2)

なぜこのような本に目をつけたのか、なぜこんなことを知っているのか。万書を読み解く井上ひさしの幅広い情報収集能力と柔軟な思考力に感心する。そしてそれが一つひとつ日本語を考える原点に結びついている。

ラ抜き言葉>というのがある。「見ることができる」という意味の見ラレルから、ラを抜いて見レルとする言い方である。総理府などが調査を行うと、この言い方を「気になる」とする回答が減り、「気にならない」とするものが6割近くまで増えているとのこと。

この物議をかもす表現も、井上ひさしによれば、あの川端康成の『雪国』の中に既に見られるそうだ。芸者の言葉に「遊びに来れないわ」と、ら抜きがある。

言語学に「ドゥンカーの実験」というのがある。1945年に行われたもので古典的な実験とのこと。こんな実験だ。(クラーク夫妻著、藤永保ほか訳『心理言語学』新曜社)。

子どもたちを2つの集団に分け、第1集団にも第2集団にも同じ材料を与える。ボール紙製の小さな箱、鋲、蝋燭、そしてマッチの4つである。

第1集団には、材料を渡しながら
「これらの、箱、鋲、蝋燭、マッチの、4つを使って、灯りを点した蝋燭を壁に立ててください」はっきりとこうアナウンスする。つまり明瞭に名付けた材料を手渡す

一方、第2集団には、
「これらの材料を使って、灯りを点した蝋燭を壁に立ててください」と、材料は名付けられぬままに手渡す

この実験の眼目は、箱を鋲で壁に取り付けることであるが、はっきりと名付けられた材料を手にした第1集団は、平均36秒で目標を達成した。ところが名付けられぬ材料を渡された第2集団の方は、平均9分を要したという。

名付けられたものに対しては直ちにきちんと注意が行き届き、それをどう使うべきか、すぐにぴんとくる。しかし名付けられていないと、子どもたちはまず名付けることから始めなければならなくなる。それで時間を喰うわけだ。

思いもかけぬ心理学の実験から、名付けることの大切さに気づかせてくれる。


◆『ニホン語日記2』 井上ひさし著、文春文庫、2000年1月刊 (単行本は文藝春秋から1996/12刊)


読書ノートIndex2 / カテゴリIndex / Home