■ 『脳は奇跡を起こす』 コレヲタノシムモノニシカズ (2008.5.24)

「之を楽しむ者に如かず」とは論語の言葉。楽しんでやっているときには、きっとドーパミン(神経伝達物質)がたっぷりと放出されて、どんどん仕事もはかどるのだろう。孔子は既に何千年も前に、脳活性化のメカニズムを理解していたわけだ。筋肉を動かしていると想像するだけでも、筋肉が鍛えられるそうだ。ピアニストを実験台にすると、心的訓練だけでも実際にピアノを弾いたのと同様に、脳の解剖学的構造を変えることができるという。イメージトレーニングの有効性が本書に紹介されている。

かつて脳に関して漠然ととらえていた常識はこうではなかったか。例えば、子ども時代を過ぎれば、脳の神経細胞(ニューロン)は成長をストップし、あとはただ衰えていくだけとか。脳がダメージを受けると、その損傷部位が司っていた身体機能が失われてしまうとか。脳はコンピュータのような精密機械であり、脳の機能は固定化・局在化されたものと考えられていた。

本書は近来の脳研究の成果を縦横に渉猟し、この常識を見事にくつがえす。「脳は自ら変化する」という。脳=人間は変わりうる存在であるということを、具体的な科学的事実に基づいて伝えてくれる。とくに人生の後半にさしかかり脳老化の自覚症状をもつ人間にとっては、意欲さえあれば、まだまだ進歩し前進する可能性を秘めているのだという、勇気を与えてくれる書である。

キーワードは「可塑性」である。変化できる・柔軟な・修正できる、という意味。脳には、ニューロンの結びつきを変化させることでその働きを更新していくという能力――可塑性――が備わっている。もし脳のある部分がだめになっても、ほかの部分が、その仕事を引きつぐことができる。損傷を受けた場合には、ときに脳自体を再編成し、だめになった部分の役割を別の領域が補うのである。

取り上げられている事例も驚くべきものだ。例えば、平衡感覚を失ったために、ひっきりなしに転んでしまう患者が出てくる。舌を通して平衡感覚の情報が伝わるようにした結果、自分の姿勢をコントロールできるようになり、普通の生活をおくれるようになったという。舌のぴりぴりした感覚は、ふつうなら脳の体性感覚野にいく。ところが、それが脳の新しい経路を通って、平衡感覚を処理する場所にいっているのである。ある感覚はべつの感覚の代わりになりうるのだ。

脳卒中の回復過程でも驚かされることがある。脳卒中では、脳のある部分が死んでしまうのだから、身体的な制限は大きなものだ。感覚野や運動野が損傷を受けた場合に、患者が積極的に訓練すると回復が進むことがある。死んだ部位の近くに生きた組織があれば、可塑的な脳の組織は、その部位の機能を引きつぐことが可能だという。

幻肢痛というのがある。ケガとか事故で腕を失った場合に、感覚はあるのに姿が見えない――あたかも腕があるかの様に痛みを感じるという症状だ。何カ月もギブスに固定されていたために、脳マップには腕は動かないと記録されてしまう。切断後には脳マップを変更する新しいインプットは入ってこない。だから、固定されているという脳の解釈(「学習された不使用」という)は、そのうちに凍りつき、たえまなくまちがった警報を送ってしまう。外的要因はないのに神経因性疼痛を感じることになる。

この幻肢痛の解消にも可塑性が利用できるという。脳に偽の信号を送って、患者に存在しない手足があたかも動いていると信じこませる方法だ。鏡の箱を使って、なんでもないほうの手を鏡で映して、切断された手が「復活した」ように、患者の脳をだますのだ。患者に刺激をあたえつづけることによって変化が生じ、脳マップがつなぎなおされて、患者は麻痺した状態を「脱学習」でき幻肢痛が消えるという。

◆ 『脳は奇跡を起こす』 ノーマン・ドイジ著/竹迫仁子訳、解説・茂木健一郎、講談社、2008/2月

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