■ 『レコードはまっすぐに』 カルショーはステレオの新しい聴衆を発掘した  (2005.5.1)



巻を措く能わず、とはこのことか。500ページを越す大冊を一気に読み進んでしまった。CDに先立つレコードの黄金期を知るものにとって、たまらない本である。当時、デッカ (ロンドン) レーベルのクラシックレコード――なかんずくオペラ録音――は絶対的な信頼を勝ち得ていた。

ステレオ最初期1959年、デッカから発売されたワーグナーの 《ニーベルングの指環》 の第1夜 《ラインの黄金》 は革新的なショッキングな録音もあって、世界的なベストセラーとなった。終幕で打ち下ろされるハンマーの巨大な響き!その頃のカートリッジのほとんどが、この箇所で針が飛んでしまいトレース不能と言われたものだ。

本書は、このデッカのレコード・プロデューサーであった、ジョン・カルショーの回想録である。カルショーは、ステレオ黎明期にあって、まったくの新しい聴衆を掘り起こしたと言えるだろう。全曲盤なんかまったく考えられてもいなかった時代に、ワーグナーの楽劇を、それも鮮烈な録音とともに世に送り出した。

カルショーはステレオの将来性は確信していた。初めてステレオの音を聴いたときから、定位の明確さと空間の拡がりを、とりわけオペラにおいては無限の可能性があると思えたという。しかし、自らがプロデュースした 《ラインの黄金》 が予想を遙かに超える――幾分かの自負はあったにしても――衝撃的な売上げを世界中で記録するとは思ってもいなかったはずだ。ワーグナーをスピーカーで聞きたいという聴衆が多数存在したのだ。

カルショーのオペラ録音の成功の鍵の一つは綿密な計画力だろう。オペラ録音の現場に、オペラの設計図とも言うべきスケジュールを初めて持ち込んだ。それまでのオペラ録音は、ただの偶然に委ねられていたのだ。スケジュールは、何が、いつ行われるのかを一覧にしてプロジェクトを確実に進行させるものだ。それには、音楽家の急病や事故に対処できる余裕がなければならない。また、ソプラノ歌手が2つの難しいアリアを立て続けに歌うのを避けるとか。歌手の負担を最小限に抑えるように曲の配列を考慮しなければいけない。

もうひとつは集中力だろう。《トリスタンとイゾルデ》 では緊張して録音に取り組んだあまり心も体もへとへとに疲れてしまった。どうにか医者の特別な注射によって録音セッションを完了するが、その後ベッドに直行し、それから2週間以上も寝たきりになったという。

プロジェクトを完遂させるという強烈な意志も忘れることはできない。ショルティとのコンビによって壮大な 《ニーベルングの指環》 4作品を1958年から65年まで足かけ8年を要して完成するが、かならずしも順風満帆だったわけではない。カルショーの完璧性を求める粘り強い取り組みがあってのことである。《ラインの黄金》の成功にもかかわらず、デッカの重役たちは一人として、全曲録音を続行しようとはしなかったという。「あれは線香花火みたいなもんだったんだよ」と。カラヤンが《ニーベルングの指環》全曲の録音を企画しているという脅しにも近い噂を流すことによって、重役連はようやくカルショーに次作の《ジークフリート》を準備する許可を与えたという。


◆『レコードはまっすぐに――あるプロデューサーの回想――』 ジョン・カルショー著、山崎浩太郎訳、学習研究社、2005/5

ジョン・カルショー  1924年生まれ。イギリスのデッカ・レコードのプロデューサーとして、1950年代から60年代にかけて活躍。史上初となる《ニーベルングの指環》 全曲スタジオ録音など、数多くの名盤を世に送り出す。1980年没(55歳)。

◆訳者の山崎浩太郎さんのサイト「はんぶるオンライン」は→ こちら
   この『レコードはまっすぐに』の補足資料として、ジョン・カルショー のプロデュースしたCDリストもまとまっている。


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