■ 『何があっても大丈夫』 櫻井よしこの母のことば (2005.3.13)



半生記とのことで恋の遍歴もかいま見える。しかし、この本のもう一人の主役は、櫻井よしこの母である。戦後、父との別居という思いがけない人生の展開に直面し、子ども2人を抱えて混乱期を生き抜く。母は幾度となく自らにも子どもたちにも言い続けたそうだ。
「何があっても大丈夫。だから自信をもって進みなさい」。なぜこれほどに、前向きの姿勢を貫ぬくことができたのか。

そう言い続けなければ自分自身をも支え兼ねるときがあったのだろう、と著者は振り返る。「寂しい想いに沈み込みそうになったら、未来への夢を膨らませなさい。寂しさを、未来の可能性につなげてくれるのが、大きな夢ですよ。人間は前向きになってさえいれば、本当に何があっても大丈夫なのですから」

櫻井よしこのジャーナリストへの道は思いがけないチャンスから開ける。ハワイの大学を卒業し日本に帰ってくる。進路をどうするかを迷っているとき偶然にも、米国の『クリスチャン・サイエンス・モニター』紙の東京支局長エリザベス・ポンド氏に紹介された。日本に赴任したばかりのポンドさんが助手を探していたのだ。『クリスチャン・サイエンス・モニター』は米国だけでなく国際社会でも知られたクォリティペーパー。

彼女の助手として働いたことが、報道や取材の貴重な実地訓練となった。取材に同行し通訳を務めることで、質問や問題点の指摘の仕方をはじめとして、物事をどのように見たらよいのか、ということまで現場を通して教えてもらったのだ。

まずいことをしたときにはピシッと指摘され、ときにはひどく叱責されたそうだ。大蔵大臣だった福田赳夫氏の発言をポンドさんは記事のなかで引用した。その発言の場所を間違えてポンドさんに伝えてしまう。彼女は私を信用してそのまま書き、その部分は間違ったまま紙面に載ってしまう。

「なぜ、こんな基本的な情報で間違うの?都市の名前も正確に伝えられないようでは、私の記事は誰にも信用されない。誰がどこで何を……というのは基本です!こんな間違いは決して受け容れられない。許さない!」

私に向けられた怒りは、助手を教育しようなどという生半可なものではなく、プロのジャーナリストとしての彼女が本気で怒った怒りだった。そこまで事実の正確さにこだわっていた。報道において、小さな事実の正確さがどれ程重要視されるかを痛感したのだった。


◆ 『何があっても大丈夫』 櫻井よしこ著、新潮社刊、2005/2


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