■ 『日本の選択』 「美しい国」って何だ (2007.4.27)

「美しい国」について考えさせる本である。日本に求められているのは、伝統と革新が混在するというイメージ。高品質とテクノロジーの国と見なされることだろうか。伝統と歴史と超モダンの混在こそ、めざすべき「美しい国」ではないかと本書はいう。そのためには、鎖国政策を採るのではなく、世界とダイナミックな関係を取り結ぶこと――グローバリゼーション――を選ぶしかないと。

グロバーリゼーションとは基本的に村から出ること。村の暮らしは平和で、犯罪もないし、誰もが自分の立場をわきまえている。しかし、村を一歩出れば、まったくちがう世界だ。そこには勝者と敗者がいるだけ。治安のよさ、教育水準の高さ、身だしなみのよさ等々。そういった日本の魅力は、ここ15年から20年で少しずつ失われてきた。安定し、結束し、まとまっていた社会が、より流動性の高い、可能性に満ちた、まわりには見知らぬ者しかいない環境に変わりつつあるのだ。

日本人はこれからの十年のあいだに、むずかしいが重要な多くの選択を強いられることになるはずだ。政治がおかす間違いについては、「中国」という言葉が一種の安全弁のように働くだろう。中国という存在が与えるプレッシャーのおかげで、どんなに無能な政府でも、命取りになるようなミスをおかすことはないと。

人民元が切り上げられたら、おそらく円高に、そしてアメリカの景気後退。日本経済が減速するのは間違いない。さらに、日本人にとって政治的にも文化的にもっとも大きなショックは、中国の企業が日本の企業の買収に乗りだしてくるという可能性だ。アメリカがどんなに扱いにくい相手でも、将来中国と向かいあったときに起きる困難に比べたら、なんでもない。日本はあらゆる面で中国の力に対抗していかなければならない。

東京を国際金融センター化する構想はどうか。例えば、オリンピック誘致と抱き合わせて運動を進めるのだ。東京は国際都市として、ほかの地域は昔ながらの日本であり続けること。東京を飛び地のように扱えば、日本はふたつのいいとこ取りができるだろう。イギリスはもう既にそうなっている。ロンドンは国際都市だが、グラスゴーやマンチェスターなどは、まったく国際的ではない。

いまの日本経済は、企業寄りで生産性優先であり、余暇や消費に重きを置くことにはなっていない。ゆとりのある経済をめざしていたはずなのに、現実には定年後も働くことをやめられないのだ。イギリスはゆとりのある定年後を実現しているのに、日本はまだまだだ。

日本の政治家のなかには、国民を脅かそうとしているとしか思えない者がいる。特に財政問題に関しては、増税しないと、いつかとんでもないことになると説く者が多い。政治家の役割は、いたずらに不安の種を撒き散らすことではなく、落ち着いた前向きな雰囲気をかもしだすことだろう。

政府が長期的に取り組むべき課題は、大学教育を改革し個々人のスキル・レベルをあげること。高度な知識や技術力こそ経済の原動力であり、インドや中国を相手に闘いぬく唯一の手段だ。なかでも、異文化への適応能力や機転や意欲が問われる。ハングリー精神――それがいまの日本人に欠けているものだ。


◆ 『日本の選択』 ビル・エモット/ピーター・タスカ著、講談社、2007/3


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