■ 『進化しすぎた脳』 脳の過剰進化とは、いわば安全装置・未来への予備 (2005.2.9)




人間の脳)が現在のような姿になったのは数十万年前だそうだ。「生命の歴史40億年」と言われる進化の過程でここまで発達してきた。著者はユニークな視点から「脳は過剰に進化してきた」と説く。動物は環境にあわせて進化するものだ。しかし人間の脳は、環境に適応するのに必要な枠を超えて、十分すぎるほどに進化してしまった。いわば宝の持ち腐れ状態でうまく力を発揮していないと。



脳は場所によって役割が違う。目や耳などのさまざな情報を処理する場所が局在化している。視覚野、聴覚野、運動野、等々。これらの脳の地図はダイナミックに進化するそうだ。生まれ持った体や環境に応じて、脳は「自己組織的」かつ後天的に自分をつくりあげていく。脳が決めているのではなく身体が決めている。たとえ指が20本あったとしても、それに対応した脳の変化が起こって、自在に操れるようになるだろうと。

このような脳の潜在能力は、将来いつか予期せぬ環境に出会ったときに、スムーズに対応できるための、一種の「余裕」だと考えることができる。新しい環境や、あるいは進化や奇形などで身体そのものの形が急に変化してしまっても、余裕をもった脳は、依然これをコントロールすることができる。脳の過剰進化とは、いわば安全装置、未来への予備みたいなものだ。

脳の能力に応じて、人間の身体の方に大幅な進化があってもよかったのでは、との疑問がある。たぶん、身体は環境に適応するだけで、それ以上に進化する必要はなかったのだろう。しかし人間は運動神経と引き換えに知能を発達させたのだとも言える。人間の小脳は小さく、運動神経は動物のなかではかなり低い。一方、鳥の小脳はすごく大きく、運動神経は動物のなかでもトップレベルだ。

脳は周囲の状況に応じて解釈を行う。「錯覚」を考えてみよう。2本の線を描いて、一方の線には内向きの矢印を両端に付ける。もうひとつには、外向きの矢印を両端に。そうすると、同じ長さの線であっても、2本の長さが違って見えるだろう。ひとつは手前にあり、もう一つは奥にあるようだ。立体視しようと脳が勝手に補正ししているのだ。錯覚は、脳が実際の長さを勝手に想像して修正することから生まれてくる。意識ではどうにもコントロールできない。人間は脳の解釈から逃れられないのだ。人間の心や意識はすべて脳が解釈しているわけだから。

脳の情報処理には――100ステップ問題――という上限がある。脳が情報を一生懸命に処理したにしても、目の前の事態を把握するには、どうしても時間差が生じる。文字や言葉が目や耳に入ってきてから、情報処理がちゃんと終わるまでに、すくなくとも0.1秒、通常0.5秒くらいかかる。情報の伝達ステップには、1回に1000分の1秒はかかるから、最終的に0.1秒の単位で処理が完了するためには、シナプスを数百回ほども介せば脳の情報処理は完全に終了できる。たかがシナプス100個程度のステップを通っただけで、高度な人間の知能が生まれてくるのだ。やっぱり脳はすごい。


◆ 『進化しすぎた脳 中高生と語る[大脳生理学]の最前線』 池谷裕二著、朝日出版社、2004/10
    講談社ブルーバックス版が2007/1に刊行されている (新たに第5章「僕たちはなぜ脳科学を研究するのか」が追加されている)
◆ 同じ著者による 『海馬 脳は疲れない』 は → こちら


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