■ 井上道義:ショスタコーヴィチ・プロジェクトが終わった (2007.12.14)





今日、2007.12.9(日)、日比谷公会堂の演奏会で、
ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏 プロジェクト2007が終わった。


第15番のフィナーレを静かに振り終えたとき、このプロジェクトを企画し牽引してきた指揮者・井上道義には万感がこみ上げてきたのではないか。涙でうるんでいるようにも見えたのだが。思い切りの拍手を送りました。

よくこのプロジェクトを完遂したものである。井上道義ほど、パワフルかつメッセージ伝達力にあふれた指揮者は、いない。
ほかに挙げるとすれば、大野和士しか知らない。

公会堂の座席配置を確認しないままに無頓着にチケットを選んでしまったので、座席は、階下の前から2列目、ほとんどかぶりつきであった。指揮者の息づかいやコンサートマスターの指使いまで間近に観察できる。
残念ながらオケの全体像をつかむことができない。管楽器なんか頭上をはるかに飛び越えていく。頻出するショスタコ特有の、不協和音気味のフォルテシモが、脳に突き刺すようである。

最初の交響曲第8番。《戦争交響曲》との別名があるようだが。井上が登場したときから、ものすごい緊張感があふれている。もちろんオケのメンバーにもビンビン伝わっている。

第1楽章の冒頭から、弦楽器を主体とした厳しい合奏。何か訴えるような威力的なフォルテシモ。グイグイ腹にしみこむようだが、どこか回想的な雰囲気が強くなる。

オケの強奏が終わったあとに、イングリッシュ・ホルンの長い、モノローグ的なソロが印象的である。この長い楽章を性格づけるようである。奏者の様子はまったく見えなかったのだが熱演だ。レクイエムを思わせるような落ち着いた様相に一変する。

第2楽章も第1楽章の雰囲気を引き継いだ感があるが、やはり強烈な姿を現す。第3楽章は、ヴィオラ群の合奏から、順次チェロ、ヴァイオリンと受け継がれる。リズミックでもあるが、意志的な強さが表現されている。
第4楽章から第5楽章へ。どこか救いを満たされたような、充足された、静かなエンディング。安らぎへ導くようである。
全曲を聞き終わって、いやされるような満足感の高い演奏であった。新日本フィルも見違えるようである。

休憩時簡に、黒柳徹子との対談があったが、やらずもがなであったのでは?

最後の交響曲第15番。この曲は難しそうだ。ホールの残響がまったく感じられないせいもあって、オケは丸裸になってしまう。前の第8番でエネルギーを使い果たしてしまったか?
もちろん一生懸命なのだが、テンションがやや下がったように聞こえる。アンサンブルの乱れも聞こえる、金管群が冴えない。

この曲は、もっと軽快さが要求されるのではないか。特に第1楽章のロッシーニのパロディーが頻出するあたり。オケはもっと小編成でもよかったと思うのだが。第3楽章には、ワグナーからの引用があったかな。第4楽章は静にエンディング。


ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第8番ハ短調 Op.65
ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第15番イ長調 Op.141
演奏:新日本フィル
指揮:井上道義


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