■ 『昭和史』 これは新しい歴史教科書になると思う (2004.10.26)





日露戦争の遺産を受けて、満州を日本の国防の最前線として領土にしようとしたところから昭和史はスタートした。その満州にソ連軍が攻め込んできて、あっという間にソ連軍に侵略され、元の中国領土となって太平洋戦争が終わる。自分たちは世界の強国なのだ、と日本人はいい気になり、自惚れ、のぼせ、世界じゅうを相手にする戦争をはじめ、明治の父祖が一所懸命つくった国を滅ぼしてしまう。

「歴史に学べ」といわれる。それには「それを正しく、きちんと学べば」、という条件がある。その意志がなければ、歴史は何も語ってはくれない。昭和の歴史(1926−1945)は多くの教訓を私たちに与えてくれる。

著者・半藤一利の挙げる教訓の内容は厳しい。第一に、国民的熱狂に流されてしまったこと。時の勢いに駆り立てられてはいけない。熱狂は理性的なものではなく、感情的な産物だ。なんと日本人は熱狂したことか。マスコミに煽られ、いったん燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威をもちはじめ、人びとを引っ張ってゆき、流してきた。

対米戦争を導くとわかっていながら、なんとなしに三国同盟を結んでしまった。良識ある海軍軍人はほとんど反対だったはず。それがあっという間に、あっさりと賛成に変わってしまったのは、まさに時の勢いだったと。理性的に考えれば反対でも、国内情勢が許さないという妙な考え方に流されたという。

第二は、最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み具体的な理性的な方法論をまったく検討しなかったこと。自分にとって望ましい目標をまず設定し、実に上手な作文で壮大な空中楼閣を描くのは得意であった。物事は自分の希望するように動くと考えるのだ。

ソ連が満州に攻め込んでくることは目に見えていたはずだ。にもかかわらず、攻め込まれたくない、今こられると困る、と思うことが「いや、攻めてこない」「大丈夫、ソ連は最後まで中立を守ってくれる」というふうな思い込みになる。情勢をきちんと見れば、ソ連が国境線に兵力を集中しシベリア鉄道を使って兵力を送り込んできていることはわかったはず。なのに、攻めてこられると困るから来ないのだ、と自分が望ましいほうに考えをもっていって動くのである。

張作霖爆殺事件(昭和3・1928年)、満州事変(昭和6・1931年)、日中戦争の導火線となった廬溝橋事件(昭和12・1937年)。ロシア軍に大敗を喫したノモンハン事件(昭和14・1939年)、そして真珠湾から敗戦へ。すべての局面において、当時の日本の指導者の能天気な自己過信ぶりがあからさまになっている。

全巻にわたって、ていねいにルビが振ってある。もちろん幅広い読者を期待してのことであろう。北京にすら”ぺきん”と振ってある。この本は新しい歴史教科書になると思う。


◆『昭和史 1926-1945』 半藤一利著、平凡社、2004/2初版


読書ノートIndex1 / カテゴリIndex / Home