■ 『旅する巨人』 日本中を歩きつくした男・宮本常一の評伝 (2009.4.29)



本書のカバー写真は小舟に乗る宮本常一である。小さなカメラを手にしているように見える。確か、愛用のカメラはオリンパスペンだったと聞いた覚えがある。何気なく日常の風景を切り取って撮影するには、もってこいのはずだ。昭和37年撮影とあるから、オリンパスペンの発売された昭和34年と年代的にはつじつまが合う。

とにかく写真を撮りまくった。なんであんな変哲もない風景を一生懸命撮るのかと当時は言われたようだ。宮本がよく撮ったのは洗濯物だった。一見みのがしがちな洗濯物には、その地方の生活の程度と人々の好みがよく現れていた。宮本は言う、「昭和35年ごろまではまだ木綿が多く、それも手縫いしたものが主であったが、37年ごろから既製品が多くなり、急速に地方的な特色はきえてきた」と。

本書は民俗学者・宮本常一の評伝である。宮本は、強大な足跡を、日本列島のすみずみまで印した。民俗調査の旅は、1日あたり40キロ、のべ日数にして四千日に及んだという。著者・佐野眞一は、宮本の足跡を追い旅を重ね、膨大な資料を徹底的に渉猟している。ゲートルばきの宮本の姿が浮かび上がってくる。それに、宮本を取りまく人間像の描写が細密で人間味あるものだ――転機となった大宅壮一との出会いとか、恩師となる渋沢敬三とのつながりを忘れることはできない。

口承文芸からはじまった宮本の関心は、生活誌、民俗学、農業技術から農村経済、はては塩業史、漁業史、民族学、考古学、日本文化論にいたるまで果てしなく広がっていった。宮本は、戦前、戦中、そして高度成長期以後の荒廃する日本列島を歩いた。宮本によって発掘され記録された高度成長以前の日本人の生活のありようがある。急激な近代化によって日本の生活環境が一変する以前の、さまざまな日本民衆の暮らしをこれほど多く書き残した記録は、ほかに例がなかった。それが宮本民俗学の無類性を決定づけ、”野の学者”としての評価を不動のものとした。

宮本は全国各地を歩くとき「山口県大島の百姓だ」の一本槍で押し通したという。古老の話を一言ももらさず記憶にとどめ、宿に帰って、頭に刻みこんだその記憶を一心不乱にかきとめた。宮本の取材方法はいつもこうだった。話し手の前にノートをひろげては相手は絶対本当のことを語ってはくれず、ましてテープに録音するなど論外というのが、聞きとり調査の基本的姿勢だった。宮本の記憶力は超人的だったという。

宮本は風景のなかから人間の営為と意志を鋭敏に読みとった。ホウレン草の畑をみただけで、宮本は酸性土壌にどれくらい灰をまいてアルカリ土壌に改良したか、たちまち言い当てた。

宮本の名が一般に広く知られるようになったのは、昭和35年 未来社から出版された『忘れられた日本人』においてである。非常勤の教授を経て武蔵野美術大学の正式の教授になったのは昭和40年。すでに57歳になっていた。昭和56年、生涯を旅と学問と済民に生きた宮本常一は73年の生涯を終えた。

◆ 『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』 佐野眞一、文春文庫、2009/4


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