■ 『天気待ち』 黒澤明と音楽――コントラプンクト  (2004.5.23)



黒澤明
が音楽に対して鋭敏な感覚を持っていたことは、つとに知られている。『羅生門』では、ラヴェルの《ボレロ》が効果的に使われていた。脚本を書く時も、よくレコードをかけていたそうだ。音楽でイメージを喚起するのだろう。『赤ひげ』では、ベートーヴェンの第九を聞いていたというし、『乱』では武満徹の《ノヴェンバー・ステップス》だったそうだ。

本書は、黒澤映画のスクリプターを長年努めた野上照代さんのエッセイ集。わざわざ「黒澤さんと音楽」という1章が設けられている。

「映画音楽というのは、画に足したのではだめで、掛け算にならないとだめだ」というのが黒澤明の持論。画と音とが重なって新しい次元の感情が生まれてくる。画が見せる感情とはまったく反対の音や音楽を付けることで画の感情が深まり、別の感情が現れてくるという。これを画と音の”コノトラプンクト”(対位法)と称していた。

興味深い、といっては真剣勝負の当事者に対して失礼だが。天才2人――武満徹・黒澤明――が衝突した、緊迫感溢れる『乱』撮影ダビング時のエピソードも生々しい。

城を追われた秀虎(仲代達也)が門を出る。大扉がギーと閉まる。途端に、今まで傲然と胸を張っていた秀虎の力が抜けてよろめく。そこから、ピーイッ!と笛が高鳴り、ダブるように低音のティンパニィが入っている。

「もっと低音が出ない?腹の底にこたえるように」というのは黒澤。武満は黒澤の言葉を無視して黙って坐っている。元々ティンパニィなんて楽器自体、嫌いなのだ。今回は黒澤の注文で渋々使っている。黒澤はさらに技師に注文を出す。「力強く、ググーンッと出してよ」。この時、武満の肩は、怒りを抑えるために震えていたという。

「黒澤さん!僕の音楽を切っても貼っても結構です。お好きなように使って下さい。でもタイトルから僕の名前をけずってほしい。それだけです!僕はもう、やめる。帰ります!」

プロデューサーたちの和解工作で武満さんの説得に成功。『乱』は予定通り全国一斉に公開された。


◆『天気待ち 監督・黒澤明とともに』野上照代著、文春文庫、2004/3


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