■ 『柿の種』 寺田寅彦セレクションから    (2020.6.12)





 寺田寅彦の言によれば、 『柿の種』は、大正9年ごろから、友人松根東洋城の主宰する俳句雑誌『渋柿』の巻頭第一頁に、
「無題」という題で、時々に短い即興的漫筆を載せて来た。
元来が、ほとんど同人雑誌のような俳句雑誌のために、極めて気楽に気儘に書き流したもの、とのこと。


セレクションから以下の2篇を個人的に興味あるものをひろいあげてみた。



●『柿の種』(昭和8年6月10日刊)より
<扉裏>
 棄てた一粒の柿の種
 生えるも生えぬも
 甘いも渋いも
 畑の土のよしあし

◆ 油絵をかいてみる。
正直に実物の通りの各部分の色を、それらの各部分に相当する「各部分」に塗ったのでは、出来上がった結果の「全体」はさっぱり実物らしくない。
全体が実物らしく見えるように描くには、「部分」を実物とはちがううように描かなければいけないということになる。
印象派の起こったわけが、やっと少し分かって来たような気がする。
思ったことを如実に云い現すためには、思った通りを云わないことが必要だという場合もあるかもしれない。
(大正10年7月7月『渋柿』)


●『触媒』(昭和9年12月10日刊)より
◆鳶と油揚
鳶(とんぴ)に油揚を攫われるということが実際にあるかどうか確証を知らないが、しかしこの鳥が高空から地上の鼠の死骸などを発見してまっしぐらに飛び下りるというのは事実らしい。

鳶の滑翔する高さは通例どのくらいであるか知らないが、目測した視覚と、鳥のおおよその身長から判断して百メートル二百メートルの程度ではないかと思われる。そんな高さからでもこの鳥の眼は地上の鼠を鼠として判別するのだという在来の説はどうもはなはだ疑わしく思われる。仮に鼠の身長を十五センチとし、それを百五十メートルの距離から見る鳶の眼の焦点距離を、少し大きく見積って五ミリとすると、網膜にに映じた鼠の映像の長さは五ミクロンとなる。それが死んだ鼠であるか石塊であるかを弁別する事には少なくもその長さの十分一すなわち0.5ミクロン程度の尺度で測られるような形態の異同を判断することが必要であると思われる。しかるに0.5ミクロンはもはや黄色光波の波長と同程度で、網膜の細胞構造の微細度如何を問わずともはなはだ困難であることが推定される。

視覚に依らないとすると嗅覚が問題になるのであるが、従来の研究では鳥の嗅覚ははなはだ鈍いものとされている。


◆『寺田寅彦セレクションU(千葉俊二・細川光洋選)』 寺田寅彦、講談社学芸文庫、2016/5

    HOME      読書ノートIndex     ≪≪ 前の読書ノートへ    次の読書ノートへ ≫≫