■ 『盲目の時計職人』 自然淘汰は偶然か (2004.8.17)




トンボを目にする季節になった。化石としてのトンボは2億5000万年前のころから知られているそうだ。わずか数グラムにも満たない、スマートな鉛筆を思わせる胴体。二対のはねを持つ。そして頭部の大半を占める複眼。この凸レンズの集合体――3万個ぐらいはあるらしい――は、どうやってできたのだろう。不思議だ。ダーウィンの進化論の結果なのだろうか。これほどまでに巧緻な生物のメカニズムが、偶然の突然変異と自然淘汰によって、できあがるものなのだろうか?

ドーキンスは、「累積淘汰」という新しい概念を導入して、この進化を説明する。遺伝的変異があって、しかもでたらめではない繁殖のもたらす結果が累積される時間がありさえすれば、とほうもない結果が生まれると。ダーウィンの進化論は数万年から数千年もかかって完成するほどの緩慢な累積過程についての理論である。われわれが直感的に判断しても、とんでもなく見当違いな結果になってしまうだろう。ヒトの脳は数十年という寿命の範囲内ではたらくように作られているから。

累積淘汰では、どんなささいなものであれ、一つ一つの改善が将来の構築のための基盤として利用される。これは、強引な例えをすると、複利法で計算する元本のようなものか。数%の利息があれば、数年で元本が倍になるとは、バブル期の銀行勧誘員の定番セリフであったが。しかも、生物の進化は数万年−数百万−数億年のスパンなのだ。

時計職人とは、18世紀の神学者ウィリアム・ペイリーの著作からの引用。ダーウィンが発見した自然淘汰は、盲目の意識をもたない自動的過程であり、何の目的ももっていない。将来計画もなければ、視野も見通しも展望も何もない。もし自然淘汰が自然界の時計職人の役割を演じているとするなら、それは「盲目の時計職人」である。
いつもながらのドーキンスの達者な語り口に魅了される。


◆ 『盲目の時計職人――自然淘汰は偶然か?――』 リチャード・ドーキンス著、中嶋康裕ほか訳、早川書房、2004/3


読書ノートIndex1 / カテゴリIndex / Home