■ 『打ちのめされるようなすごい本』 米原万里の絶筆 (2007.1.29)




著者・米原万里はロシア語の同時通訳者である。食べるのと歩くのと読むのは、かなり早い。読書量はここ20年ほど1日平均7冊を維持してきた、というからすごい。本書は2部構成である。第1部は週刊文春に連載してきた「私の読書日記」を収めたもの。第2部は1995〜2005にわたるほぼ全ての書評を収録している。

どうしても癌との闘病に触れないわけにはいかない。癌の再発に遭遇する。つらい抗癌剤の治療をやめ必死の思いで新しい治療法を探し求める。治療医を訪ね我が身を以て検証しその経過を日記として公表する。週刊文春の発刊日は最後のものは5月中旬である。逝去の日付に照らすと死と隣り合わせで原稿と格闘していたことになる。本人の意志だったのだろうか。もし売らんがための編集部の施策だったとしたら、ジャーナリズムのモラルが問われるはずだ。

巻末にある井上ひさしさんの[解説]が全てを言い表しているだろう。書評は常に試されているという。まずその書物を書いた著者によって、その書評に誘惑されて書物を買った読者によって試されている。褒めれば甘いと叱られ、辛口にすればたぶん一生恨まれ、ほどほどにしておけば毒にも薬にもならない役立たずと軽んじられる。よほどの本好きでないと続かない困難な作業であると。

米原万里はこの困難にいつも正面から、それもうれしそうに体当たりしたという。彼女の文章は、いつも前のめりに驀進しながら堅固で濃密だ。文章の1行1行が、箴言的に、格言的に、屹立している。

斎藤美奈子の本は全部読んでいると聞いて合点した。こう言っている。本の悪口を書かせて、これほど面白い人は空前。齋藤はどの本にもどの著者にも遠慮思惑一切なし。文体は陽気に乾いていて悪口にも芸がある。悪口を言うには、蛮勇だけでは足りない。褒めるよりずっとずっと芸を必要とする。

見かけの権威やブランドに惑わされずに、書物の内容そのものに立ち向かう評者の謙虚で真摯な姿があると。これはまさに米原万里自身の書評のスタイルではないか。


◆『打ちのめされるようなすごい本』米原万里、文藝春秋、2006/10


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