■ 『「分ける」こと「わかる」こと』 人間同士のつき合い方が新しくなるか (2006.10.22)



現代は分類の時代である。それも対立軸の鮮明な二極化の時代だ。いじめられる側といじめる側、核兵器を持つ国と持たざる国、正社員とフリーター等々。確かに、分類することで、すべての事象を説明できるような気がする。世の中が動いているような気がする。

本書の主張は、固定的にものごとを見るな、柔軟な視角――違う分類――から考えよ、ということであろうか。いままで見えなかったものが見える、世の中が違って見えるはずだ。人間同士のつき合い方も新しくなるだろうと。原著は1982年の刊行であるが、決して古くはない普遍的テーマである。

例えば、これまでと違う分類で人を眺めるということ。家族、近所の人、親戚、同僚、友人という区別でなく、ときには早起きの人、夜ふかしの人、早く死にそうな人、長生きしそうな人、髪の白い人、禿げた人などと分類して、知人の住所録を整理しなおしてはどうか、ということだ。

子供には、頭の良いこと悪い子がいる、よく勉強する子と怠ける子がいる、というような分類をやめてみよう。それよりも、どこがわからないのかがわかっている子と、そうでない子、叱ったほうが効果的、おだてたほうが効果的、という子供の特性や指導法のTPOを考えてみようと。

著者の結論のひとつは、分類というのは認識や行動のために人間がつくった枠組みであって、存在そのものの区別でなない、ということ。同じ対象であっても、分類の仕方は限りなくあって多種多様である。人為的な分類を、存在そのものの分類と見なしてしまうことは、既成の分類の固定化を招く。分類の網目にかからないものは、見えなくなるのである。

「わかる」とは、自己とは異なる分類体系がわかるということ。簡単に「わかった」とか「理解ある態度」を示したりできるようなものではない。困難な、かつ相互の努力によってはじめて可能になるのではないか。可能にはなっても、実現はきわめて困難な理解の道であると。


◆ 『「分ける」こと「わかる」こと』 坂本賢三著、講談社学術文庫、2006/6刊


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