■ 『ボーイング747を創った男たち ワイドボディーの奇跡』 (2002.4.7)

ジャンボジェット=ボーイング747はいまや最もポピュラーな旅客機だろう。テスト初飛行に成功したのは、1969年2月9日。同じ年の7月20日には、アポロ11号が月面に着陸している。本書はそのボーイング747――ワイドボディのアイデアを実現し、大量輸送時代の幕を開いた――の開発の歴史である。

設計のバイブルがあるという。「モデルB747設計目標と基準」はボーイング社の技術知識のバイブルであり、B707以降の商業用ジェット機設計によって得た経験と教訓の宝庫だった。ここで表明されている目標は、B747を「1969年時点における最新技術を盛り込んだ新世代の亜音速機」につくりあげることだった。コンフィギュレーションが決まってから3年以内にB747の初号機を初飛行させるというスケジュール。この期限は、過去の経験から考えても、きわめてきびしいものだった。

このバイブルには、B747についてのあらゆる決定・承認の基準と、エンジニアリングの判断基準となるべき原則が網羅されていた。もっとも多く出てくる言葉は、「……ねばならない」。たとえば、「翼内燃料タンクには、機の姿勢と翼のたわみが燃料の重心位置の変化におよぼす影響を少なくするため、整流装置をとりつけなければならない」といったように。

ボーイング社がB747の開発に成功し、現在のような巨大な企業に発展したきっかけは、自前の風洞を持っていたことだ。そこにはひとりのエンジニアが強く関わっている。ジョージ・シェアラーはMITから、ボーイングに入社。たちまち社内の知的活動の源泉となる。そして風洞建設を提案する。しかも、米国で最高の性能をもったものを。総額100万ドルをこえる投資は、当時のボーイング社にとって、とんでもない話だった。会社の将来に決定的な役割を果たすことになるものであると経営陣に迫る。1941年、亜音速機の上限に近いマッハ0.975の気流速度をもつ風洞の建設が正式に決定された。

1945年、シェアラーがドイツ航空技術調査団に参加し、後退翼の重要性にいち早く気づいたことは、きわめて重要なモーメントだった。後退翼が高速爆撃機に有効であることを早期に見抜いた。鋭い角度で後方にそり返った後退翼と、強力なジェットエンジンの組み合わせがB747には必要だった。とくに後退翼の角度がもっとも重大な問題。後退翼をもった主翼を風洞のなかで数千時間もテストしたうえでなければ実現しなかった。

後退翼には従来の剛性とは違って、たわみやすい翼にすることを採用し、懸架したエンジンの重量によってたわみ、空気力学的な力がかかってもたわむように設計した。上下にたわむだけでなく、ねじれたりする。エンジンを支柱(パイロン)で懸架することによって、主翼から離す。火が主翼に燃え移ることはない。運転出力の上限が高いボーイング社の風洞は、きわめて重要な役割を果たした。可撓性の長細い後退翼と、パイロンによって懸架したジェットエンジンの組み合わせは、その後の亜音速大型機の主流となった。



◆『ボーイング747を創った男たち ワイドボディの奇跡』 クライヴ・アーヴィング著、手島尚訳、講談社2000/11

◆ 講談社ブルーバックスの『ジャンボ・ジェットはどう飛ぶか ボーイング747のメカニズムを楽しむ』(1980、佐貫亦男著) と併せて読むと面白い。


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