■ 食い物から作品が見える『文人悪食』 (2001.4.21)



本書は、雑誌「鳩よ!」に連載されたものを加筆して1冊にまとめた作品。資料集めから始めて5年かかったとのこと。近代文学館、大宅文庫、そして多くの古書店のおかげ。700余の文献を参考にしている。巻末に18ページの主要文献一覧がある。ちなみに種田山頭火の項は7冊、宮沢賢治は23冊。

かつて週刊誌の連載で、有名人の朝昼晩1週間分の食事を並べてドクターのコメントを受ける記事を憶えている。あの人が、どんなものを食べているのか、ちょっとのぞいてみたいのが普通の人。著者のスタンスはちょっと違う、興味本位ではない。「文士が通った店」という類の本があるが、それは文士の日常生活の余話という扱いである。そうではなく、文士の嗜好を料理でたどってみれば、いままで漠然と考えてきた作品の別面が見える」と言う。

作家37人を文字通り俎上にのせている。1人10ページほどの割り当て。夏目漱石 ビスケット先生、から始まる。森鴎外 饅頭茶漬、幸田露伴 牛タンの塩ゆで、……三島由紀夫 店通ではあったが料理通ではなかった、まで。月刊誌で毎月1人づつ読む分には抵抗がなかったが、まとまったタイトルを見るだけで、もう食欲が無くなってしまうかもしれない。気になる作家のページを拾い読みするのが、お勧めである。

思いがけないエピソードもある。たとえば夏目漱石。酒を飲まない漱石は、ビスケットや砂糖つきピーナッツが好きだった。落花生の砂糖まぶしを食べると胃に悪いため、鏡子夫人が隠してしまうと、漱石は、それを捜し出してこっそりと食べたという。宮沢賢治は菜食主義者だと思っていたら、肉も食べたし酒も飲んだし煙草も吸い、高級料亭に行って芸者に指輪を買ってやった。

種田山頭火は大飯食いの行乞僧であった。とにかく食う、モリモリ食う。ガンガン飲む。酒を飲み、水を飲み「水飲んで尿して去る」とうそぶいて58年の生涯を閉じた。山頭火の句には、人間の根源的な孤独感が透徹しており、一見なんの変哲もない風物情景のなかに淋しさを感じさせてしまう。そこに、山頭火の力業があった。これは、脱俗しない鉄の胃袋のなせる業である。

著者と直接の交流があった現代人になると、生き生きとしたドキュメンタリーになる。包丁を握る姿まで活写されている。特に檀一雄のくだりはビビッドである。著者は檀一雄の担当編集者となり、1年間の連載記事を始めた。当時27歳とのこと。以後、亡くなるまで7年間、檀一雄と日本各地を取材旅行し、檀氏にくっついて料理を食べまわった。

檀氏はあまりに快活で、男っぽく、気前がよく、人にやさしい豪放な人だった。檀氏は見事なほど他人を悪く言わない。人に気をつかい、酒を飲めばアッハッハと大声で笑い、九州男児そのものであった。檀氏に接する人は、みなその人柄にひかれていた。南国人特有の、豪快さのなかに流れ星のような孤独を秘めている人であったが、それは快男児の味つけのようなもので、豪快さは人並みはずれていた。檀氏にとって、料理は自己救済であったという。

◆『文人悪食』 嵐山光三郎著、マガジンハウス、1997/3 (新潮文庫、2000/9)



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