■ 都響スペシャル 《第九》演奏会 (2011.12.26)



都響スペシャルで大野和士の指揮で「第九」を聞いてきた。
サントリーホール 2011.12.26(月)

第1曲の《アルト・ラプソディー》は静謐な演奏であったと思う。
東日本大震災への鎮魂の意思が込められていたようだ。



《第九》は実に壮絶な演奏だった。
第1楽章の冒頭から緊張感に満ち満ちて、
今日の演奏はすごいことになるぞ、との予感があったが。

このところの都響と大野のコンビネーションは最高ではないか。
オケと一体となった共感がある。
合唱の力もすごい。オペラシンガーズは抜群だった。

前回(2002年?)のN響の演奏を覚えているが、
たしかオケの配置にこだわって対向対置であった。
今回は通常配置のようである。左手に第1Vn、右手にVaが並ぶ。

P席なので、オケの全体像を聞くことは難しい。独唱はまったくの裏からだ。
大野の指揮ぶりはよくわかった。指揮ぶりは大きくない要所を引き締める様子だ。
ときには、オケの自発性にあたかも演奏を任せたように、指揮棒を置いたままの様子が見られた。

<曲目>
ブラームス:《アルト・ラプソディ》
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調《合唱付き》

<出演>
指揮:大野和士、管弦楽:東京都交響楽団
ソプラノ:天羽明惠、メゾソプラノ:小山由美
テノール:市原多朗(佐野成宏から変更)、バリトン:堀内康雄
合唱:東京オペラシンガーズ


■ 大野和士の振ったN響の 《第九》 (2002.12.27)




2002年 N響の 《第九》 は大野和士の登場。大野はこの9月からベルギー・モネ劇場の音楽監督に就任したばかり。
今回は久しぶりの日本での指揮、凱旋演奏会の感がある。23日の初日はNHK衛星第2放送で生中継があったばかり。
27日にNHKホールで生を聞いた。





バッハ(ウェーベルン編)《リチェルカータ》
ベートーヴェン 交響曲 第9番 ニ短調 作品125 《合唱つき》 (ベーレンライター版)
指揮:大野和士
ソプラノ:ダグマール・シェレンベルガー
メゾ・ソプラノ:ナターシャ・ペトリンスキー
テノール:スチュアート・スケルトン
バリトン:アンジェイ・ドッバー
合唱:国立音楽大学

今回の演奏会の前プロは バッハ(ウェーベルン編) 《リチェルカータ》。普通は 《コリオラン》 とか序曲を並べますね。レオノーレ第3番などを聞かされると、第九を聞く前に腹一杯になってしまいます。このプログラミングにはいろいろ意見もあるようです。例えば、 《リチェルカータ》は たった8分ばかり、そのあと10分もの休憩で中途半端だと。小生はこのプログラミングに納得しました。

第4楽章で、合唱と合唱の切れ目で 管弦楽だけの激しいフーガ (フガートと言うのでしょうか) があります。このフーガで一挙に 音楽的密度・緊張が高まります。ここで前プロのウェーベルンが回想的に浮かんできます。大野和士が意図したのは、バッハの静穏・内省的なフーガと、このベートーヴェンの激しいフーガを対比させることではないかと。壮大な合唱の二重フーガにもつながります。第九を導きだし、前プロと一体化させる絶妙なプログラミングと、腑に落ちました。

オーケストラは、対向配置あるいは分散配置と言うのでしょうか。第1Vnと第2Vnを左右に振り分けていました。第1楽章など、ちょっとバランスが片寄る感じで違和感があります。意図が小生にはわかりません。しかし第3楽章は、ぴったりでした。ここが最も大野の特長が出た楽章かなと思いました。

第4楽章、自家薬籠中の物でしょう。実にオーソドックスな演奏で力の入った演奏でした。このところラトル/VPOの 《第九》 を聞いていたので、余計にオーソドックス感に印象づけられました。例のVcの弱音で弾き出される歓喜の歌も、すーと演奏され、すっきりとしたものですが、言うべきことは言うという演奏スタイルです。(追伸) もっと日本で振って下さい。



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