■ フロイトの長い影 (2000.1.30)





フロイトは、1856年オーストリアのモラヴィア(かつてのチェコスロヴァキア)に生まれた。ジークムントという名前は、モラヴィアの伝説上の英雄にちなんでいる。ウィーン大学の医学部で学び、晩年ナチに追われて大陸にわたるまで生涯のほとんどをウィーンで過ごした。

精神分析においてフロイトは巨大な存在である。その姿は見る位置によって様子が変わるものの、現代にずーと長い影を引いている。





たまたま手元にある、『本の話 特集 これぞ20世紀の「迷著」』(H12/2月号、文藝春秋)を見ると、日垣隆の「人はなぜ『迷著』にだまされるのか」のマクラがフロイトなのである。一見知的なガイダンスとしては、フロイト以外の導入部は考えられないようである。

……フロイト『精神分析入門』は、とても面白い本だ。患者の妄想を様々に解釈し意味づけながら、しばしばフロイト自身が妄想に溺れてしまう。患者のドアの閉め方にまで、妄想をふくらませてケチをつけるくだりなど、実にほほえましい。
……このような著者の思い込み(妄想)を、さも「定説」であるかのように断じる本は、もちろん今もあとを絶たない。


フロイトの代表著作『夢判断』は、1900年に刊行された。数多くのフロイトの著作、論文の中で、最も重要であると言われている。フロイト自身も夢判断の方法と理論こそ、自分の発見の中で最も決定的な発見であると確信し、さらに、最も愛好する著作でもあった。

『夢判断』では、「隠された願望の充足こそ、夢の本質である」とし、「夢には実際に"意味"がある。そして夢判断の学問的方法というものは可能なのだ」と述べている。
『夢判断』はフロイト自身、「無意識への王道」とよぶ、きわめて独創的な夢判断の方法と夢真理学理論の系統的な記述を目的としている。
フロイト自身の野心と自負心にもかかわらず、初版は600部印刷されて売りつくすのに8年かかったという。最初の6週間で、123部、次の2年間たっても228部しか売れなかった。そして刊行後1年半の間に、専門の学問的刊行物で本書に言及したものは一つもなかった。

当時、1900年代のウィーンでは、音楽家マーラーは、既に指揮者としての名声を得ていた。ウィーン国立歌劇場の総監督であり(1897-1907)、 《交響曲第5番》の作曲に取り組んでいた(1901-02)。R.シュトラウスは《サロメ》を作曲中である(1904-05)。フランツ・シュレーカーがオペラ《はるかなる響き》の着想を得たのもこの頃。
やがて、第1次世界大戦(1914-18)の引き金となる、サラエヴォ事件の勃発による1914年7月のオーストリアのセルビア宣戦へと、きな臭い煙が立ちこめていた。
そして1905年(明治38年)、遠く日本海では東郷平八郎率いる連合艦隊がバルチック艦隊と闘っていた(1905年)。


1931年、ウィーンの医師協会はようやく彼の功績を認め、名誉会員に指名した。
しかし、ユダヤ人であるフロイトは、ナチの台頭に追われ1938年6月ウィーンからロンドンに脱出する。そして翌1939年9月ロンドンで83歳の生涯を終えた。
67歳のとき、フロイトは悪性の口腔ガンであることを発見した。その後生涯に33回もの手術・レントゲン照射を繰り返した。
精神分析の創始者として闘い抜いた生涯でもあったが、ガンとも壮絶な戦いを続けたのである。

現代の俯瞰した視点から見れば、フロイトのたどった道筋は、あまりにも「性」に傾斜しすぎているかもしれない。また、臨床的研究や科学的証明が不足していたという批判があるかもしれない。しかし、まだ我々がその巨人の影の中にいることは間違いない。


◆参考文献
(1) 小此木啓吾著 『フロイト』 講談社学術文庫、1989/1
(2) ラッシェル・ベイカー著・宮城音弥訳 『フロイト その思想と生涯』 講談社新書、1975/1
(3) アイゼンク著・宮内勝ほか訳 『精神分析に別れを告げよう フロイト帝国の衰退と没落』 批評社、1988/1(原著初版1986)
(4) 中野好夫著 『人間の死にかた フロイトと死の衝動』 新潮選書、昭和44/6
(5) J・ヒルマン+C・ボーア著・木村定+池村義明訳 『フロイトの料理読本』 青土社、1991/4


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