■ 『裏切り者の細胞 がんの正体』 (2003.2.28)



今年(03年)1月、がんで亡くなったスーパーエディターこと安原顯さんは、家族にこうこぼしていたそうだ。「がんのやつもばかだなあ。俺が死んだら自分も死ぬのに……」。がん細胞は増殖を続けて自らを育んできた環境を破壊する。最終的には自らの生存に不可欠である宿主を殺すのである。がん細胞の採ってきた戦略的な拡大作戦が、結果的に自らの死を招くのである。これは、ダーウィンの自然選択による進化に対する大きな疑問点ではないか。

本書は、近年明らかになった「がん発生のメカニズム」を明快に教えてくれる。がんは、遺伝子の損傷によって生じる病気なのである。細胞の増殖をコントロールする2種類の遺伝子――がん遺伝子がん抑制遺伝子――に欠陥があると、腫瘍が生じやがてがんに発達する。ヒトの細胞が悪性の成長するきっかけは、がん遺伝子が活性化し、がん抑制遺伝子が不活性化すること。増殖をコントロールする遺伝子が変化した細胞は、正常な周囲の細胞よりも、成長力が勝ることになる。その結果生み出された大量の子孫が、組織の中で不釣り合いな数にまで膨張する。

そもそも細胞は、自らを破壊する可能性のある遺伝子を、自身のゲノム内に抱えているという。がん化を導く情報 (原がん遺伝子)が、DNA分子を通じて細胞から細胞へと移される。原がん遺伝子は、変異のメカニズムによって、がん遺伝子に変質する機会が生じる。変異とは、DNAの構造に変化が生じること。遺伝子を構成するDNAの塩基配列が変わることだ。

変異を引き起こす化学物質が細胞に侵入して、原がん遺伝子を襲い、がん遺伝子に変える。細胞はがん遺伝子の発する命令にしたがって、際限のない増殖プログラムを開始する。がん遺伝子のコピーは変異細胞の子孫すべてに受け継がれ、細胞にひたすら成長と分裂を繰り返させる。そして数年後、何十億という大量の数に膨れあがった細胞が、生命を脅かす腫瘍となって現れるというわけだ。

細胞が分裂するときにも変異の可能性がある。細胞は分裂するための準備としてDNAを複製するのだが、その過程では間違い (コピーミス) が起こる。ミスがあると、「DNA修復」と呼ぶプロセスが働き、DNA内のミスコピーされた塩基を見つけ出して遺伝子情報は復元される。しかし、どんなに優秀な細胞も、DNA複製のたびに、100万塩基につき1個はコピーミスを犯してしまうという。したがって細胞が成長と分裂をする限り、変異は避けられないのである。細胞に成長を促すことの中に、がんを進行させる原因があるのだ。増殖し、DNAを複製する細胞は、DNAをコピーする過程で誤りを犯すことを避けられない。誤りが増えれば、それだけ変異が増え、それが、原がん遺伝子に当たることも少なくないわけだ。

原がん遺伝子は、自動車のアクセルのような働き。逆に、がん抑制遺伝子(増殖を正常化させる遺伝子)のほうはブレーキ役。細胞ががん化するとき、このがん抑制遺伝子を落としてしまうか、不活性化してしまうのだろう。今では十数個のがん抑制遺伝子が確認されているという。ヒトゲノム・プロジェクトが進めば、新たな抑制遺伝子の発見も、かなり容易になるだろうと。

◆『裏切り者の細胞 がんの正体』(サイエンス・マスターズ13) ロバート・ワインバーグ著、中村桂子訳、草思社、1999/10


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