■ 『ハンニバル』とゴルドベルク変奏曲 (2000.5.5)


トマス・ハリス
の新作『ハンニバル』(新潮文庫)が、4月12日の発売以来すでに130万部のベストセラーとのことだ。前作の『羊たちの沈黙』から11年が経っている。主人公はやはりクラリス・スターリング、女性FBI特別捜査官、32歳。そして怪物ハンニバル・レクター博士。

読後感はすっきりしない。息もつかせぬ展開であり。ページを捲るのももどかしく一気に読んでしまったのであるが。やはり愚作と言うしかない。最終章のタイトルは「長いスプーン」である。読者はどのようなイメージを喚起されますか?

第2部は、フィレンツェでの事件である。魅力的なフィレンツェの描写にしても、結局は、殺人の儀式への前奏曲でしかないのである。

……夜ともなると、古都フィレンツェの心臓部は琥珀色の投光照明に浮かびあがる。そのアーチ型の窓といい、カボチャ・ランタンの歯のようなギザギザの胸壁といい、中世の面影を色濃く残すヴェッキオ宮殿は、暗い広場にひときわ明るくその威容を刻み、暗黒の空高く鐘楼がそそり立っている。


ハンニバル・レクター博士の趣味はハープシコードを演奏すること。特にバッハの《ゴルトベルク変奏曲》がお気に入りのようである。潜伏先のフィレンツェ
のカッポーニ宮の奥まった部屋から、ハープシコードの響きが幽かに聞こえてくる。


……完璧ではないが絶妙な演奏には、この曲の真髄への理解が滲み出ている。絶妙ながら、完璧とは言い得ない演奏。左手の微かなこわばりが、そこには影を落としているのだろうか。

博士は多指症で左手には6本の指があった。手術で6本目の指は切断した。前作では、メンフィスで看守たちを殺した際、終始《ゴルトベルク変奏曲》のテープを流していたという。《ゴルトベルク変奏曲》にしても、殺人鬼を際だたせるちょっと毛色の変わったエピソードでしかないのである。

誰だかが 「前作を凌ぎ、『エクソシスト』と並んで20世紀に屹立する傑作」と言ったようだが、冗談でしょう!


◆『ハンニバル』 トマス・ハリス著、新潮文庫、2000/4


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