■ 『イノベーターの条件』 新しい社会の創造を担う (2001.01.25)


洞察に満ちた本である。いつもながらのドラッカーの鋭い観察力に感心させられるばかり。そして、元気づけられる。中高年よがんばれ、日本よがんばれとも、リストラに負けな、とのメッセージでもある。
本書は、ドラッカーへの道案内として企画された3部作「はじめて読むドラッカー」のひとつである。『プロフェッショナルの条件』、『チェン・ジリーダーの条件』はすでに出版されている。本書は、社会編から新しい社会の創造を担うイノベーターとなるための作品。

訳者の上田惇生は、ピーター・ドラッカーは社会生態学者である、と言う。社会生態学者は、社会を全体としてとらえる。自然環境を観察するように人間環境を観察する。ドラッカーは、社会を観察し、「何が起こったか」「本当の変化か」「何を意味するか」を考える。そして、ドラッカーによれば、20世紀ほど急激な社会転換を経験した世紀はない。先進国において、仕事、労働、社会、政治のすべてが、この世紀の初めのころとは、その形態、構造、プロセス、問題のいずれにおいても大きく変わった。

肉体労働者から知識労働者への流れがある。知識労働者の特徴は、継続学習の必要性と教育の重要性である。第1次世界大戦が始まるまで、農民はあらゆる国で最大の人口を占めていた。1900年ころには工場の肉体労働者が、社会で中心的な存在となった。1950年代には、肉体労働者が、共産圏をはじめとするあらゆる国で最大の労働人口となり、経済的には中流階級となった。1990年には、肉体労働者は後退していた。そして、アメリカでは1950年代の労働人口の5分の2を占めていた肉体労働者が、1990年代の初めには、既に労働人口の5分の1以下になった。アメリカの肉体労働から知識労働への重心の移行は、1990年ごろ完了した。現在のところ、この移行が終わっているのはアメリカだけである。ヨーロッパや日本では始まったばかりである。

むかしから学歴や高学歴者が重視されている日本では、肉体労働者の衰退は、アメリカと同じように当然のこととして受け入れられる。知識社会になっても、知識労働者が人口の過半を占めるようにはならない。だが先進国の多くでは、彼らが最大の労働力となり、最大の階層となる。リーダー的階層となる。教育が中心的な位置をしめる。学校が枢要な社会的機関となるのである。

今や肉体労働者の仕事は、技能技術者――自らの肉体とともに理論的な知識をもって働く人たちに代わられている。コンピューター技術者がその代表で、ドラッカーのいう知識労働者である。知識労働は、高等教育による理論的、分析的な知識を習得し適用するという能力を必要とする。継続学習を必要とする。

知識社会は、競争の激しい社会である。知識は普遍であり、成果をあげられないことの弁明ができなくなる。知識労働者は、その有する知識が初歩的であろうと高度であろうと、わずかであろうと大量であろうと、その本質からして専門家たらざるをえない。知識は専門化することによって成果をあげる。知識労働者が必然的に専門家たらざるをえないということは、組織と関わりながら働くことを意味する。成果をあげるうえで必要な継続性を提供できるものは、組織だけである。

知識社会では、最大の投資は機械や道具ではなく、知識労働者自身が所有する知識である。知識労働者の所有する知識がなければ、いかに進歩した高度の機械といえども生産的にはならない。知識が大きな力を持ち、教育が重要なのだ。知識とその探求は、専門分野別ではなく応用分野別に組織されるようになる。学際研究が急速に進展しする。知識が自らを最終目的とするものから、何らかの成果をもたらすための手段に移行したことの必然の結果である。これまで知識とされていたものは、単なる情報にすぎないことになった。今や、かつて技術とされていたものこそが知識である。現代社会の動力源としての知識は、適用され仕事に使われて初めて意味をもつ。仕事は、専門分野によって定義することはできない。目的は、常に学際的たらざるをえない。

そしてIT革命の重要性を説く。IT(情報技術)がもたらす社会的影響は、ひとつは、仕事を人のいる場所すなわち郊外に運ぶことは、すでに始まっている。さらに、仕事の場の変化が仕事の方法を変え、仕事の内容まで変えるのだ。


◆ 『イノベーターの条件―社会の絆をいかに創造するか―』 ドラッガー著、上田惇生訳、ダイヤモンド社、2000/12


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