■ 《影のない女》 と ヒトの歴史 (2000.10.9)

R.シュトラウスの《影のない女》の CDを入手した。もちろん中古。演奏は、ショルティウィーン・フィルハーモニー。歌手陣はプラシド・ドミンゴ、ヨセ・ヴァン・ダム、ヒルデガルト・ベーレンスほか。録音は1989年と1991年、3年がかりである。

ストーリーはモーツァルトの《魔笛》を思い出させる。東方はるかにある島々を治めていた皇帝は、ある日の鷹狩りでカモシカを捕らえる。カモシカは霊界の大王の娘。皇帝は娘を皇后にむかえる。皇后は体内から光が出るので影ができず、子どもを生むことができない。皇后に影ができなければ、皇帝が石になる呪いがかかっている。皇后は染め物師の妻から影を買おうとするが、犠牲を伴う行為を恥として果たせない。しかし、その美しい気持ちが認められ、皆が救われる。

幕開き冒頭の強烈なアタック3連続にびっくりする。霊界の支配者の動機とのことだ。ショルティの一連の録音に共通するスケールの大きな録音である。R.シュトラウスの華麗なオーケストラ・テクニックが繰り広げられる。ドミンゴも誠実な皇帝の役割にマッチングしている。ベーレンスはいつに変わらぬ熱演。

第1幕の中ほどから、録音で気のついたことがある。ステレオの音場が目の上に展開されるのである。オペラの舞台を見上げるイメージとなる。オーケストラがスピーカーの後ろに広く展開し、その前面で歌手が視線のやや上方に位置するかっこうになる。腰高の印象である。2幕、3幕では普通の位置関係に戻る。CDの録音データには、プロデューサー クリストファー・レイバーン、エンジニアはジェイムス・ロック他とある。録音はウィーンであるが、3年の間に録音場所を変えたとは記してない。

ヘッドフォンでステレオを聞くと、音場が頭蓋骨の中に展開される。やや後方の上側の頭蓋骨よりに音が貼り付く。目の前にはまったく広がらない。最初は違和感があったものだ。この現象は、ヒトの過去の森林生活の遺産であると、どこか本で読んだことがある。すなわち4つ足の生活では、ちょうど頭の上が前方になるのである。従って耳から入った情報が前方に焦点を結んでくれないと、生命の危機に瀕するのであるから。なかなか説得力のある説だと思った。

宇宙の歴史は150億年、地球 46億年、生命 36億年、陸上動物 4億年、哺乳類は1億2000万年と言われている。ヒトはおよそ300万年、歴史は猿人→原人→旧人→新人の4段階に分かれる。類人猿(霊長類)が森林を降りてサバンナに出て、2本足での直立歩行を始めたのが猿人。霊長類は樹上生活に対して適応し、ヒトの身体特徴もこれに準じる。両眼は顔の前面に並ぶため、立体視となり、距離の目測に都合がよい。霊長類の聴覚は格別優れてはいない。

目で処理される情報量は圧倒的である。目からの情報と耳からの情報が同時に入って来たとき、目の方が優先するようである。テレビで経験することであるが、スピーカーが画面から離れたとんでもない所にあったとしても、画面の人々の声は、まさにテレビ画面の唇が発声している様に聞こえる。CDを聞くとき、集中するときには目を閉じて聞くような習慣があった。しかし、目を開けて聞いてみよう。たとえ2本のスピーカーの間に、古本が積み重なって目障りだとしても、しっかりと音像が前方に定位することを経験するだろう。
……脈絡の無い話でした




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