■ 『平素の戯言 』 卓抜な警句。豊丘時竹のエッセイ集 (2004.1.12)


「人は、過去において他人に接してきたように、他人から扱われる」。人情の機微に触れる、年輪を感じさせる言葉ではないか。これは「身から出た錆」の冒頭で著者がいう警句だ。大学時代の研究室のエピソードから、善因善果悪因悪果、作用反作用へと展開する。そして、感謝へと回帰する。文章がきりりとしている。日本随筆家協会賞を受賞したのも宜なるかなと納得する。

本書にはこうしたエッセイ54編が収められている。身辺雑記からインターネット、日本経済をどうするかまで。同世代のものには懐かしい風景がある。今は失われた町はずれの様子とか、東京オリンピック、宇宙戦艦大和とか。ただ、時事テーマ・政治ものは、書いたとたんに古くなるのがどうしようもないですね。いま一歩練り上げてほしいなというテーマもありました。ところで、登場回数は奥さんがダントツだ。「ラ・マンチャの男」を観て必死に奥さんを口説き落とすくだり。「私もずいぶん無理をした」とあるのは可笑しい。

ユニークな警句をひろい出してみよう。
・「男はツバメ、女はスズメ」。男はツバメで、職場と家庭とを渡ってサラリーという虫。女はスズメで、家庭にいて地域の人間関係という作物を得るのだという。
・「科学は捏造である」。科学はなんらかの仮説を立て、その仮説を一般には実験をとおして証明することでなされる。仮説を立てた人が実験するその本人であるから、どうしても仮説に合うようにデータを読み取ってしまう。だから、データの多くはバイアスのかかった近似値となる。したがって科学も捏造であると。ドクターである著者の発言だけに説得力がある。
・「写真は真を写さない」。シャッターを押すタイミングの話もありますが、もうひとつは、写真が撮影者の視点を押しつける、という危険性を言っているのでしょうね。これは山本夏彦のことばでした。

◆『平素の戯言 ――私のミセラニー ――』 豊丘時竹著、日本随筆家協会、2003/12

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■ 『引用されなかった研究』 (2001.2.25)


著者は国立大学の理科系学部の教授。専門分野は「ウシの誘起多胎作出に関する研究」とある。要するに、牛にたくさんの子供を産ませる研究らしい。いま話題のクローン牛とか遺伝子研究につながるものであろうか。

大学教授とは思えない練達の文章である。この調子で教科書も書いて欲しいものだと、学生は思うのではないか。独断的で鼻持ちならないのが大学の先生に対するかねてのイメージ。この本は独りよがりの文章でもないし、晦渋でもない。なかなか自らに厳しい文章訓練を課したのでしょう。

<はじめに>によれば、本書は「なぜ、私の研究は引用されなかったか。そのことを中心にした私の半生記」とある。30年間の研究生活の総決算。そういえば、先ごろ日経新聞だったか、青色発光ダイオードを発明した中村修二氏(現在はカリフォルニア大学教授)の論文が世界で最も多く引用された論文になった、という記事を読んだ記憶がある。

著者は言う。引用されなかったとは、他人に何らの影響も与えることができなかった。誰かの論文に引用されてその人の研究に対して何らかの貢献をした、という形跡が皆無である。という自己否定のマイナス評価なのである。しかし、自らも言うように、創造的な部分があったのである。そして、かつては、研究は研究すること自体に意味があると考えていたのだ。自己の価値判断が時代と共に変わっていくなかで、過去の仕事を現在の評価基準に、それもマイナスのバイアスを掛けて、照らし合わせることに意味があるのだろうか。

しきりに出てくるのが、「負の抵抗」という言葉。「自分が悪者になろうどうなろうと、かまわずに食ってかかる」というような意味とのこと。イメージ的には"抵抗"はマイナスであるから、それに"負"が付くと、プラスに転換するのではないかと思われるが、著者の思い入れは違うのである。著者の頭の中には、すでに確としたイメージが出来上がっている、"抵抗"とはプラスであり、建設的なもの、真っ正面からの反論、直言であると。これは評者だけの感触だろうか。

厳しい指摘もある。「大学の教官は何をし何をしゃべろうと、ほとんど責任をとらされない唯一の職業であることを理解した」とか。書中のエピソードから判断すると、著者と評者とはどうも同世代ではないかと推察される。共感を持って読みました。

◆『引用されなかった研究』豊丘時竹著、平成11年5月24日、生涯学習研究社、162ページ


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