■ 大野和士 マーラー交響曲第9番 (2000.12.19)

東京フィルハーモニー 第422回 定期演奏会は大野和士の指揮で、マーラーの《交響曲第9番》。2000年12月.19日、オーチャードホール。昼間は20℃を超えたとかの暖かい1日であった。

マーラーの第9番は、彼の最後の交響曲。最晩年の作曲でもある、彼自身は初演を耳にすることはできなかった。ブルノ・ワルターが「この曲はこの世への惜別の歌である」と言ったのは有名である。大野和士に期待したのは、世紀末ウィーンのかけらもない、思い入れたっぷりの惜別の歌でもない、すっきりした明るい光を予感させる演奏である。新しい主張をもった演奏を。

第1楽章から、やや遅めのテンポで始まる。確信をもった開始であった。第2楽章、第3楽章と、快刀乱麻の感があった。マーラーの対位法的な響きが明快に分離して伝わってきます。最終楽章は白眉。期待通りに音楽的にもすっきりした演奏でした。
いつになく大野和士の棒にも感情がこもっていたのですが。清澄な、「惜別の歌」というより「旅立ちの歌」に近いイメージでした。オーケストラのコンディションもバランスも万全。気合いも入っていましたね。

これだけの演奏。めったに聞けないと思います。大野和士と東フィルに感謝したい。



◆楽章構成
・第1楽章 アンダンテ・コモド ニ長調 4/4拍子 ソナタ形式
・第2楽章 ゆるやかな連とらーのテンポで ハ長調、3/4拍子
・第3楽章 ロンド・ブルレスケ:アレグロ アッサイ 非常に大胆に イ短調 2/2拍子(ブルレスケ、おどけた)
・第4楽章 アダージョ:非常にゆっくり、そして控え目に 変ニ長調 4/4拍子 室内楽的な響き

◆マーラーは、第9交響曲を1909年夏に作曲を始めた。ニューヨークへ行ってから合間に書き続け1910年3月に完成。
翌1911年には51歳で没している。まさに「惜別の歌」であろうか。初演は1912年ウィーンでブルノ・ワルターによって行われた。◆1897年ウィーン宮廷歌劇場の音楽監督。1907年のウィーン歌劇場を辞めるまでの10年間。ウィーンにあって楽壇の帝王であった。ヨーロッパ音楽界の最高の地位。1907年に長女が死す。自身も心臓の異常を感じる。1907年秋にニューヨーク、メトロポリタン歌劇場の音楽監督に招聘された。新設されたニューヨークフィルの指揮者としても活躍。



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