■ 『シャングリラ病原体』 現実は小説を超える! (2003.6.5)

いま新型肺炎SARSが猛威をふるっている。世界保健機関によれば、世界の死者は764人、患者数は8,360人、そして死亡率は9.1%とのことだ (03.6.1現在)。中国奥地の野生動物を感染源とする新しいウィルスと言われているが、ワクチンなど本格的な治療法は未だ見つかっていない。

未知の病原菌による世界危機の勃発が本書のテーマ。出版はこの時期に意図されたものなのだろうか?偶然ならば恐ろしいほどの符合だ。まさに現実が小説を超えているとしか言い様がない。おまけに邦題には「シャングリラ」を附している!シャングリラは英国の作家ヒルトンの小説『失われた地平線』で描かれた中国南西部の理想郷の名前。SARSとの因縁を思わずにはいられない。

巨匠が挑む近未来サスペンスと帯にはある。感染者:250万人とのおどろおどろしい数字が並ぶ。幕開けは南極。アメリカ観測基地からの連絡が途絶えた。現地に急行した救助隊は、無残に老衰死した4人を発見する。抜け落ちた白髪、深いしわ、白濁した眼球。90歳の老人へと激変している。北極の英仏基地、シベリアのロシア基地でも同様な事態が発生。死因は未知の細菌か、このままでは人類は死滅するしかない……-

作者の意図は、地球温暖化現象にまつわる論争のようでもある。北極、南極などの氷河が、溶けつづけている。シベリアの各都市が、溶けた永久凍土に飲みこまれて壊滅するだろうとの予測もある。そして、凍りついていた未知のウィルスや細菌が、どんなワクチンや抗生物質も効かない伝染病の世界的な流行をひきおこすという危険があるというのだ。

例によって盛りだくさんの筋書き。危機回避のために、各国首脳や科学者が集められるが、政治家は自国の利益を図ろうとするばかり。もちろん女性科学者との色模様もある。しかし、エンターテインメントとして読んでも、文庫本の上・下2冊は長い。最後は肥大したテーマに負けて腰砕けの感がある。


◆『シャングリラ病原体 (上)、(下) 』 ブライアン・フリーマントル、松本剛史訳、新潮文庫、2003/3

◆ブライアン・フリーマントル 1938年サウサンプトン生まれ。17歳でロンドンの新聞界に入り、国際関係の記事を専門とするジャーナリストとして活躍。「デイリー・メイル」紙の外報部長を務めた後、小説家デビュー。『消されかけた男』ほか。


■ 『パンゲニア』 第1巻 ネオサピエンスへ愛をこめて。地球国家の構想 (2003.5.25)

アメリカがイラクの空爆を開始したのは2003年3月20日。そして、アッという間のフセイン政権の瓦解。イラクが隠し持っているという大量破壊兵器は未だ見つかってはいない。何のための戦いだったのか。まして、イラクの戦後復興にはアメリカ、イギリスが第一に関わるという。国連をまったく無視して、権益丸出しである。まさに地球国家が待望される時代でもある。

この物語りは、地球国家「パンゲニア」を建国しようとするひとびとのストーリーである。現在の地球上の五大陸は、大陸移動説によると、ただ一つの大陸が分裂したと言われる。「パンゲニア」は、地球上で唯一であったこの古代大陸――バンゲアに由来する。物語の主人公は、まだ小学校4年生の坂本ハンスと、彼の祖父 坂本友彦である。

坂本友彦は、地球国家「パンゲニア」を提唱している。国連や世界連邦構想を超えた人類全体のたった一つの国家。独立主権国家のあつまりである国連では人類全体のコンセンサスを得るには限界があり、人類全体と有限な地球の問題を解決できないという。60億人の人類全部が参加する、皆が少しずつ我慢して資源や食料や公害の問題に取り組む。領土問題などにしても、紛争地帯を当事者から取り上げて地球政府パンゲニアの直轄領にするというアイデアだ。

物語は、全7巻の壮大な構想である。横浜の小学校4年にハンブルグから転校してきた坂本ハンスは登校初日から陰湿ないじめに遭う。画鋲を椅子の上にこっそりとばらまかれるとか。やがてハンスは、まだ自分でもハッキリと自覚はしていなかった超能力によって、クラスの信頼を勝ちとり、リーダシップを発揮するようになる。

ハンスの超能力は、時間短縮とも言うべきもの。身に危険が迫った時、条件反射的に自然に時間の尺度が切り替わる。緊張を高め集中している時には、自分の意志でも時間軸をのび縮みさせることが出来る。ハンスに流れる時間が早くなり、まわりの人がゆっくりと動くようになる。けんかをしても、相手の動きがスローモーションになるのだから、パンチをよけるのも簡単だ。

作者の着想はユニークである。この超能力を、パソコンのクロック周波数に例える。生物はそれぞれDNA中にクロック周波数を決めるプログラムがあると言うのだ。各個人ごとにそれぞれの時間の進み方を決めている。緊急時には、クロック周波数が変わるように出来ていると。そしてこの特質を持った新人類が多数出現するという。

正直言って「パンゲニア」は単なる理想論に思える。だが物語はまだ始まったばかり、友彦がハンスに託す夢はどのように実現するのだろう、作者の構想力を期待したい。友彦は、メーカーに永年勤めた技術者ということで、明らかに著者の分身ではある。


◆『パンゲニア 第1巻』 井上朝廣、文芸社、1999/2

◆井上朝廣 (いのうえ・ともひろ) 昭和13年横浜生まれ。昭和39年 東京工業大学電気工学科 修士課程修了。同年、東芝入社。国内外の火力発電所開発・計画・設計・建設に従事。総合企画部部長、火力技師長、技監を経て平成10年定年退職。東芝テクノコンサルタント勤務。


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