■ 『ロードショーが150円だった頃 思い出のアメリカ映画』 (2001.4.3)

昭和30年代は映画が産業としてもっとも活気づいていた黄金時代。昭和33年(1958)には映画人口は11億2700万人にも達し、国民ひとり年平均12回映画を見ていたという。現在の8倍である。著者は昭和19年(1944)生まれ。もっとも多感な少年時代を過ごした。おまけに映画館(阿佐ヶ谷オデヲン座)が歩いて5分のところだったようだ。『老人と海』と『鉄道員』など2本立てが普通の三番館だが。映画ファンになったのは自然なことか。

章をたてて紹介している映画は、52本。著者は西部劇に対する思い入れを隠すことができない、最初に挙げるのはグレゴリー・ペック主演の『拳銃王』、締めくくりも西部劇の『ハッド』。ポール・ニューマンがヒーローのいわゆるアメリカン・ニューシネマのさきがけとのこと。巻末には、しっかりした索引(作品と人名)が付いている。ここには391本が載っている。行き届いたうれしい配慮である。

評者も著者と同年代。オデヲン座に足を運んだこともある。懐かしさと共感がいっぱい、ページをめくるのが惜しいとまで感じた。舐めるように読みました。『真昼の決闘』、『シェーン』とか『エデンの東』、『翼よ!あれが巴里の灯だ』とか。

ぼくのベストワンは『大いなる西部』。テーマ音楽がヴァイオリンのアタックで始まる、それと重なって疾走する馬車の車輪が映る。『ベンハー』の戦車競争シーンともダブる。わくわくするような導入部が忘れられない。このタイトル・シーンは、ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』を手がけたソール・バスとのこと。本書にはこんなエピソードもちりばめられている。

ロードショー館、渋谷パンテオンは料金が150円だったそうだが、行った覚えがないなあ。

昭和30年代はヒーローの時代だったかもしれない。力道山、長嶋茂雄そして東京オリンピックと続く。力道山がシャープ兄弟と戦ったのは、1954年(昭和29年)2月19日が最初。以下に年表をあげてみる。

・昭和30年(1955) ジェームス・ディーン死す (中1)
・昭和31年(1956) トニー・ザイラー三冠王、プレスリー登場 (中2)
・昭和32年(1957) ソ連、人工衛星スプートニク打ち上げ (中3)
・昭和33年(1958) 長島茂雄デビュー (高1)
・昭和34年(1959) 美智子妃ブーム (高2)
・昭和35年(1960) 安保反対デモ (高3)
・昭和36年(1961) ガガーリン「地球は青かった」
・昭和37年(1962) ファイティング原田フライ級世界フライ級王座
・昭和38年(1963) ケネディ暗殺
・昭和39年(1964) ビートルズ登場、東京オリンピック
・昭和40年(1965) 朝永振一郎ノーベル賞




◆『ロードショーが150円だった頃 思い出のアメリカ映画』川本三郎、晶文社、2000/12


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