■ 『ゴシップ的日本語論』 昭和天皇の言語能力は? (2004.6.1)

世に多くの日本語論が流布している。なかでも、丸谷才一の『文章読本』は、「ちょっと気取って書け」というスローガンがひときわユニークで忘れられない。これは「思った通りに書け」は駄目だ、文章は自然ではない、作為である、人工物である、ことを強調したのだという。

本書に取り上げられたゴシップもまたユニークで期待を裏切らない。昭和史は昭和天皇の言語能力という面から見なければいけないというのだが。さて、本書巻頭の日本語論は憂国の論である。

一国の運命は、政治と経済によるだけでなく言語による所が極めて大きいというのだ。言語教育は国運を左右し文明を左右する。明治以降の急速な近代化のなかで日本は、ものを考える道具としての日本語を大事にしてこなかった。日本語を使ってものを考えること、ものを言うこと、ものを書く術を教えることは、あらゆる教育の基礎である。日本語をもっと鍛えなければならないと。

文部省の主導した「ゆとり教育」は、日本語教育の時間数をうんと減らした。これは恐るべき愚行であったと丸谷は断じる。日本語教育の時間をもっと増やさなければならない。英語などの外国語も時間も増やすことが必要だ。なぜなら、日本語を相対的なものとして把握することが、日本語の力を磨くために大切なのだから。

言語での、日本文明の弱点を端的に示しているのが、機械類のマニュアルであるという。あれの文章は読んでわからないことがしょっちゅうある。病院などに置いてある書類も文章が曖昧もうろうとしてことが多い。意味をはっきり指示しない欠陥文章がかなりあると。この意見には共感するな。

文章なんてものは大したことじゃないんだ、いざとなれば口で説明すればいいんだ、という発想が日本人に根強くあるのではないかと筆者は懸念する。文章で伝達しようという心構えが根本的にないのだ。

◆ 『ゴシップ的日本語論』 丸谷才一著、文藝春秋、2004/5


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