■ 『インターネット書斎術』 紀田順一郎、インターネット文化とは「引く文化」 (2002.4.14)




著者は書斎術のベテラン。インターネットと言わず、パソコン黎明期から、デジタル機器を使いこなして知的環境を構築しアウトプットを重ねている。本書の内容も幅広いものである。パソコン用の仕事椅子の選択に始まって、知的生産ツールの紹介――「カシスライター」とか、そしてインターネットの使いこなしまで。絶版になった文献や古書を探すのに、インターネットほど絶好の手段はないという。

インターネットが普及するにつれて、パソコンの使い方は大きく変わった。それ自体がメディアとなり、発信手段となり、データベースとなったという。本書の主張は以下に要約されるだろう。

インターネットの本質は双方向性や共時性などにあるのではなく、「たがいに自己発信を行うことによって新しい価値を創り出すこと」にある。

◆インターネットの弱点や欠点と、常に隣り合わせにいるという認識が必要。セキュリティーが保証されにくいこと。適正量の情報が得にくいこと(ある問題には情報量が多過ぎ、ある問題には少な過ぎる)、検索装置に制約があることなど。

インターネット文化とは、「引く」文化、「参照する」文化である。

◆インターネットの使いにくさ、データベースとしての欠陥は、索引への無関心にもある。英米独では早くから索引の観念が発達し、索引のない図書あるいは雑誌は、地図のない国にたとえられる。

◆インターネットは未だ発展途上の技術ないしメディアである。そのかなりの部分が、日本語自体の制約による。インターネットがあまりにも急速に普及しつつあるため、戦後の国語改革で積み残された課題があぶり出しにされてしまったのである。

例えば、(1)表記の不統一。「コンピュータ」か「コンピューター」か、「ディケンズ」か「ディッケンズ」か、「バイオリン」か「ヴァイオリン」か。地名など固有名詞を片仮名表記する例も、混乱を招きやすい。(2)同音異義の多いこと。「根元」と「根源」、「創世」「創生」「創成」とか。同音異義が多いという特色を生かして微妙なニュアンスのちがいを表現する術を編み出してきた。アナログ時代の、言語を「目で見る」時代には長所となり得たが、「聞く」時代あるいは「引く」時代には弱点となる。等々。

著者の主張は、日本語による検索エンジンの使いにくさに端を発しているようである。しかし、米国生まれの検索エンジンの正体はわかりませんね。ためしに自分のホームページを検索させても、不可解な結果が出ることがあります。たかがここ数年の技術である検索エンジンによって、日本語の将来が決定されるとは思われませんが。著者は、そのうちにきっとインターネットの記述ルールが生まれてくると言う。


◆『インターネット書斎術』紀田順一郎著、ちくま新書、2002/2

◆紀田順一郎 (きだ・じゅんいちろう) 1935年横浜生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。評論家。克明な調査と幅広い知識で、近代史、出版論、書誌、言語とコンピューターなどの分野で旺盛な評論活動を展開、推理小説も手がける。ワープロもパソコンもインターネットも登場初期から執筆や調査に積極的に活用、その経験からユーザーの知的生産に役に立つ使い方やメーカーへの提言を重ねている。

◆紀田順一郎さんのホームページはこちら → 紀田順一郎のIT書斎技術と日本語ものがたり


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