■ ショスタコーヴィチの交響曲第8番 「わたしの交響曲は墓碑である」 (2002.2.23)

2001年11月の東京フィルハーモニー定期演奏会は、ショスタコーヴィチの交響曲第8番であった。指揮は井上道義。この交響曲の本格的な実演に接するのは初めてである。井上の演奏は、メリハリのはっきりしたもの。強力な弦楽を背景に、パソコンで描いたデジタル画像を見る感じ。あくまでもコントラストがはっきりし、管楽器や打楽器がそれぞれ明確に主張する。5楽章の複雑な構成である。一度聞いただけではまだ全体のイメージが漠としている。暗闇の中で巨象が動き回っているようだ。

演奏会のプログラムに音楽研究家 野本由起夫さんの丁寧な解説があるので、一部を参照してみよう。

・第1楽章。約25分の大規模な楽章。拡張されたソナタ形式。第1主題は、いかにも第5交響曲の出だしにそっくり。
・第2楽章。短いソナタ形式。まず行進曲風の主題、やや皮肉っぽく響く。ピッコロ独奏で第2主題、ティンパニの強打と全オーケストラの打撃音で幕切れとなる。
・第3楽章。トッカータ風の、きわめて特異な印象を与える楽章。冷血無情な「機械」あるいは動き出したら止まらない時代の歯車を思わせる。
・第4楽章。パッサカリアの変奏曲形式。全奏による悲痛な叫びの後、ラルゴのテンポでバスの主題がくりかえされ、上声部がつぎつぎと新しい音楽を紡ぎ出していく。弦楽器、ホルン、ピッコロ・ソロ、フルート合奏、クラリネット・ソロと。
・第5楽章。ロンド形式とソナタ形式を混ぜた自由な形式の楽章。第1主題はファゴット・ソロで静かに登場、田園的な喜びにあふれた音楽。戦争の恐怖が一瞬脳裏をよぎる。「生きることのすばらしさ」と「美しきもの」を祝って、消え入るように全曲を閉じる。再び平和な世界が訪れますように!

その後、超低価格で名を馳せた「ブリリアント・クラシックス」の「ショスタコーヴィチ交響曲全集」(BRL6324)を年末に入手した。演奏はルドルフ・バルシャイ指揮/西部ドイツ放送交響楽団 (WDR)。CD11枚組で3,480円(@316円!)、HMVで購入。挿入されたパンフレットを見ると、いずれも1992〜1998年の本格的なデジタル録音である。指揮者のバルシャイは、かつてモスクワ室内オーケストラを指揮した歯切れのよいバルトークが忘れられない。パンフレットによれば、ショスタコーヴィチと作曲を学んだとある。また1969年レニングラードで交響曲第14番を初演している。


このバルシャイの演奏で第8番を聞いて、大部違った印象を受けたのである。もともとが室内楽出身ということであろうか、静かな整った演奏なのだ。テンポにしても抑制されている。井上の演奏が荒々しかったかなと思いおこされる。オーケストラの演奏技術は東フィルと同等以上のレベルと感じる。それにしても、これだけの演奏は廉価版にはもったいない。買い得です。

2002年1月には新日本フィルを指揮して大野和士の演奏があったのだが、残念ながら聞き逃してしまった。音楽評論家・長木誠司さんによると、大野和士の指揮は、巨大なクライマックスが形作られてゆく様子を存分に楽しめた、とのこと。そして、先の見えない第4楽章のような音楽を、暖かく見守る眼差しというか、ともに苦渋をなめる潔さというか、そんなものをイメージさせる演奏だったと。底知れない虚無の風景は、ショスタコーヴィチならではという。

ショスタコーヴィチの死後に出版された『ショスタコーヴィチの証言』は、スターリン時代の政治に荒波に翻弄された芸術家の真情を吐露していると言われる。この中で、ショスタコーヴィチは交響曲第7番や8番の、いわゆる戦争交響曲に言及して、「わたしの交響曲は墓碑である」といっている。該当箇所を抜き出してみよう。スターリンの非人間性に対する戦いでもあったのだ。

第7交響曲は戦争のはじまる前に構想されていたので、ヒトラーの攻撃にたいする反応として見るのはまったく不可能である。「侵略の主題」は実際の侵略とはまったく関係がない。この主題を作曲したとき、わたしは人間性にたいする別の敵のことを考えていた。
ヒトラーによって殺された人々にたいして、わたしは果てしない心の痛みを覚えるが、それでも、スターリンの命令で非業の死をとげた人々にたいしては、それにもまして心の痛みを覚えずにはいられない。拷問にかけられたり、銃殺されたり、餓死したすべての人々を思うと、わたしは胸がかきむしられる。ヒトラーとの戦争がはじまる前に、わが国にはそのような人々がすでに何百万といたのである。

戦争は多くの新しい悲しみと多くの新しい破壊をもたらしたが、それでも、戦前の恐怖にみちた歳月をわたしは忘れることができない。このようなことが、第4番にはじまり、第7番と第8番を含むわたしのすべての交響曲の主題であった。

第7番が《レニングラード交響曲》と呼ばれるのにわたしは反対しないが、それは包囲下のレニングラードではなくて、スターリンが破壊し、ヒトラーがとどめの一撃を加えたレニングラードのことを主題にしていたのである。
わたしの交響曲は大多数は墓碑である。わが国では、あまりにも多くの人々がいずことも知れぬ場所で死に、誰ひとり、その縁者ですら、彼らがどこに埋められたかを知らない。わたしの多くの友人の場合もそうである。

ショスタコーヴィチの真情を汲むと、第8番は墓碑なのである。一般に言われるように最終第5楽章を明日への希望の光と読むことができるであろうか。読み方によっては演奏が180度まったく方向が逆転してしまうことになる。



◆『ショスタコーヴィチの証言』S・ヴォルコフ編、水野忠夫訳、中公文庫、1986/1

◆工藤庸介さんのショスタコーヴィチのサイトは驚異的情報量。さらに→ 交響曲はこちら

◆朝日新聞・音楽展望(2002.4.23)で吉田秀和さんが、ショスタコーヴィチのこのバルシャイの演奏に触れている。交響曲第4番について、「よく整理されて、しかも味わいの深い演奏になっている。これはバルシャイがひたすら作品に奉仕することに徹して音楽を混じり気のない形で鳴らすことを心がけていたからではないか。彼がショスタコーヴィチに愛されていたとしたら、そのためだったろう」と。


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