■ 高橋真梨子の魅力 (2000.3.19)



文藝春秋から出た『高橋真梨子 とびらを開けて』(2000/3)を読んだ。高橋真梨子は、1972年ペドロ&カプリシャスの2代目ヴォーカリストとして歌手デビュー。翌年『ジョニイへの伝言』『五番街のマリーへ』をヒットさせた。78年ソロ歌手に転身し、それまでの「高橋まり」を「高橋真梨子」と芸名を改めてから、21年が経つ。

高橋真梨子の魅力は、第一にその「声」であると思う。透き通って浸透力があり、しかも潤いがある。コンピュータで分析して特徴がとらえられるであろうか。高調波成分を豊富に含んだ複雑な周波数特性であろう。歌い方はプレーンである。過度な感情移入はない。そしてマイクの前では、ほとんど直立の姿勢で歌うのである。「私は歌うだけ、みなさんに作曲・作詞家のメッセージを伝えるだけ」ということであろうか。音程は正確である。


阿久悠によれば、「一見無個性に見えて、実に個性的。透明な感じがするのに実に色っぽい。違った要素がモナカみたいに何層にも重なっている」。

著者・川上貴光もこの魅力にとりつかれた。初めてのコンサートに行ったとき、不思議な感動に捉えられた。それが何で、どこから来るものかを知りたい、といのが興味の始まりだった、とのこと。

高橋真梨子は、1949(昭和24)年、広島に生まれる。父はジャズのサックス奏者。彼女の音程の確かさは、父がピアノの調律をしていたことによる胎教ではないかと、著者は推論している。その後、本格的ジャズ・プレーヤーをめざす父に従って博多に移動。しかし、父の発病によって、家庭環境は激変する。

小学生ではコーラス隊に入る。先生に指名されるほどだから、歌は上手だったのだろう。14歳のときジャズ・ピアニストから歌のレッスンを受ける、このとき複式呼吸をマスターした。中学3年のときに広島で父が亡くなる。高校進学の頃には、すでに博多で名前を知られる存在になっていた。17歳で東京に出て渡辺プロダクションに入るが、3年で博多に戻ってしまう。クラブで歌っていたが、ペドロ&カプリシャスの2代目ヴォーカリストとしてスカウトされて再度上京したのは、23歳のとき。そして『ジョニイへの伝言』『五番街のマリーへ』を歌う。

同時取材の形式。臨場感のある会話、インタビューで構成されている。難病で若死にした父の姿を広島に求める。父の昔のジャズバンド仲間の話をハワイに聞きに行く。ボーイフレンドとの別れ、そして夫でありプロデューサーのヘンリー広瀬との結婚。作曲家・鈴木キサブローと作詞家・大津あきらのコンビによる『for you …』。母の死、武道館でのコンサートのこと。更年期障害によるウツ状態……、高橋真梨子のすべてが書いてある。

写真も多数収められている。博多のクラブで歌っている写真とか、ナベプロ時代のスクールメイツ姿の写真なんて貴重ではないでしょうか。エピソードも豊富。『ジョニイへの伝言』について、阿久悠のことばが紹介されている。
「始めから高橋真梨子の為に書いたと嘘を言いたくなるほどぴったり彼女にはまっている。彼女以外の人が歌うことはとうてい考えられない。それくらい彼女の曲になってしまっている」

読み終わってから、著者があの背番号16番の息子さんだったということを知りました。1946年生まれとのこと、私と同世代です。だから、著者の見解にほとんど共感できたのでしょう。楽しんで読みました。

もっと細かいデータ、たとえば年表とか、発売済みのCD・作曲家一覧などを付けてくれたらとか、個人的にはいろいろ注文があります。また、あまりにも、人との偶然な出会いを強調する運命論的な記述が気になりましたが。題名の『とびらを開けて』の意味は、新しいステップへ踏み出す、ということなのか、あるいは、すべてを話したということだろうか。


◆『高橋真梨子 とびらを開けて』 川上貴光著、文藝春秋、2000/3

◆川上貴光 (かわかみ・よしてる) 1946年、神戸市に生まれる。68年慶應義塾大学経済学部卒業。その後、著述業となる。91年「父の背番号は16だった」でミズノスポーツライター賞を受賞。著書に「"ムッシュ"になった男――吉田義男パリの1500日」がある。あの川上哲治の息子。


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