アルトゥーロ・トスカニーニ 1867−1957


イタリアの指揮者。1876年からパルマ音楽院でチェロと作曲を学ぶ。ミラノやトリノの歌劇場の客演指揮者として活動を開始し,レオンカバロの《パリアッチ》やプッチーニの《ラ・ボエーム》などを初演した。1898‐1903年と06‐08年にスカラ座の首席指揮者を務めた。

1908年ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の首席指揮者となり,カルーゾーらとともにイタリア・オペラ全盛時代を築いた。10年代からコンサート指揮者としても華やかな活動を開始し,26年から36年まではニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団,37年からは NBC 交響楽団とともに,ベルリオーズ,ドビュッシー,ベートーベンの作品を好んで取り上げた。38年には反ファシズムを表明した。

トスカニーニの演奏のスタイルは,原典を尊重する客観的・アポロン的なもので,しばしばフルトウェングラーのロマン的な演奏と好対照をなす演奏とされ,20世紀の演奏界に大きな影響を与えた。

(日立デジタル平凡社「大百科事典」)


■ 指揮者としてのデビュー

トスカニーニが指揮者として人生のスタートを切ったのは19歳、ブラジルはリオ・デ・ジャネイロである。

当時、イタリア歌劇団の公演が行われていたが、あまりのレベルの低さに聴衆の不評をかっていた。そして当夜の上演「アイーダ」ではその混乱が頂点に達し、指揮台に上がろうとした指揮者は聴衆の罵声に迎えられたのである。場内は騒然とし興行主は幕の前に出て説明しようとしたが、やじり倒されてしまうような状態であった。

トスカニーニはチェリスト兼副コーラス・マスターとして参加していた。この混乱を治めるために、楽団員によって指揮を要請されたのである。決然と立ち上がり指揮棒を取り上げ公演を成功裏に終わらせることができた。

もちろん楽団員は、トスカニーニが日頃からヴエルディの歌劇を勉強していて、全曲のスコアを暗譜していることを知っていたのである。

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