■ 『世界がお前たちの舞台だ』 チョン・ファミリー物語 (2008.3.9)
たまたま古本屋の片隅で、この本を見つけた。チョン・トリオ――ピアノ/指揮者:ミョンフン、ヴァイオリニスト:キョンファ、それにチェリスト:ミョンファ――3人姉弟を育てあげた母親・李元淑(イ・ウンスク)さんの物語。
イ・ウンスクさんは1918年の生まれ。日本の教育ママなんてとても足下にも及ばない、世界スケールの母親像が浮かび上がる。1961年には、アメリカに移住しシアトルで7年間コリアハウスを経営した。この頃が音楽一家の基盤となったようである。
チョン・ミョンフン(鄭明勲)は幼い頃から、指揮者としてのオーラを醸し出していたのかな。「あなたがピアニストになるというのなら私は教えません。あなたは偉大な音楽家におなりなさい」シアトルでミョンフンにピアノのレッスンをしていた、マダム・ジェイコプスンは、いつもこう言ったそうだ。
ミョンフンはマンネススクールで、ピアノと指揮の2つを専攻したが、指揮を終えた年、20歳のとき、チャイコフスキー・コンクールに挑戦した。当時ミョンフンにはチャイコフスキー・コンクールは荷が重すぎるようだった。
図書館に行って、チャイコフスキー・コンクールに関する資料を全部ひっくり返し、役に立つものは1行も漏らさずに書き写してきてミョンフンに読ませたという。まだコピー機なんて普及していない時代だった。
結果は2等。1等はソ連だった。この1974年第5回のピアノ部門の入賞者は、Wikipediaから引用すると次のようだ。シフの名前も挙がっている。
第1位 アンドレイ・ガヴリーロフ(ソ連)
第2位 スタニスラフ・イゴリンスキー(ソ連)、チョン・ミュンフン(アメリカ)
第3位 ユーリ・エゴロフ(ソ連)
第4位 エチェリ・アンジャパリーゼ(ソ連)、アンドラーシュ・シフ(ハンガリー)
第5位 ドミトリー・アレクセーエフ(ソ連)
このあと指揮者としてメトロポリタン・オペラでの活躍がある。
1989年には、例のバスティーユ・オペラのトラブルが勃発する。
バスティーユ・オペラの専任指揮者はダニエル・バレンボイムに決まっていたのだが、
オペラ側は正式契約をすませ、公演計画まですでに立てていたにもかかわらず、彼を解雇してしまったのだ。
理由は明らかにされなかったが……。
このあたりの事情はバレンボイムの自伝『音楽に生きる』にも詳しい。 → こちら
これに抗議してショルティ、カラヤン、マゼール、ムーティ、ロストロポーヴィッチなど錚々たる指揮者たちが、バスティーユでの公演を拒否するという「声明文」を書くなど、強い反発と物議を醸していた。
5月には、ミョンフンは音楽監督を引き受け契約書に最終サインした。翌年には、ベルリーズの大作《トロイアの人々》で歴史的な幕が上がった。公演は大成功だった。当時37歳か。
◆『世界がおまえたちの舞台だ チョンファミリー物語』李元淑著・藤本敏和訳、産経新聞社、2004/11刊