■『ルーシーの膝 人類進化のシナリオ』 イーストサイドストーリーがある (2002.7.6)
今日(7/6)の朝日新聞によると、旧ソ連のグルジア共和国で新しく原人の化石が見つかったとのこと。約180万年前にアフリカから欧州にわたった原人の脳は、従来考えられていたより小さいことを示唆する。原人の「出アフリカ」は、大脳が発達し、知能を得たためという定説が覆る可能性もでてきた、とのこと。まだまだ人類進化の歴史は書きかえられる可能性が大きいようだ。
人類は段階的に 「猿人→原人→旧人→新人」と変化してきたといわれる。その過程には、3回の大きな節目がある。(1)
600〜500万年前にアフリカで人類の祖先である前人類(猿人)が誕生し、徐々に草原に適応していった。直立二足歩行、立ち上がったチンパンジーという人もいる。(2)
300〜200万年前に初期のヒト属の人類が誕生し、やがてアフリカからユーラシアへ拡散していった。ほぼ原人と旧人に対応する。(3)
20〜15万年前にアフリカでホモ・サピエンス(新人)という種が誕生し、世界への二度目の急激な拡散を行い、世界各地へ人種集団が生じた。
本書は、地球の環境変化によって、どのように人類の系統が誕生し、ヒト属の人類が進化してきたかを解説したもの。主人公「ルーシー」は、著者(イブ・コパン)たちがエチオピアで発見した320万年前の猿人の化石。「膝」は保存状態がよく、直立二足歩行者だったことを示すとのこと。学名は、アウストラロピテクス・アファレンシス。
著者は、猿人が誕生して直立二足歩行を始めたのは、アフリカの大地溝帯の東側の気候が乾燥し森林が草原に変わったせいだという仮説を提唱。これを、ミュージカルをもじって「イーストサイド・ストーリー」と名づけている。これが興味深い、素人にも説得力がある。
このイーストサイド・ストーリーと呼ぶモデルは、700万年前から800万年前の、構造的地質学的・気候学的・生態学的な事件とも合致する。千数百万年前から起きたと思われる東アフリカにおける大地溝帯の形成が、この年代に活発化した。活断層の西側プレートにそった崩壊が起き、東側は乾燥化という強烈な打撃を受ける。断層の東側と西側に起きた降雨量の差によって、植生の違いが強まり、動物相も適応を余儀なくされたはずだ。
人間とチンパンジーの共通の祖先は、サバンナと森林のある赤道アフリカに住んでいたに違いない。赤道アフリカのまんなかで南北に線が引かれた。西側のかなり浸潤な地帯と、東側のそれほど浸潤でない地帯との分界線となった。そこで両方の共通の先祖は、異なる適応条件――採餌上の条件と、身体的・運動的な条件――から、異なるふたつの個体群に分かれた。
運動面でいうと、西側では樹上を腕渡りで移動し、地上ではいわゆる「ナックル歩行」が行われた。東側では、樹上の腕わたりと地上の二足歩行が併用されたあと、やがてもっぱら二足歩行に移行した。400万年前の乾燥の絶頂期に、アフリカの東側の内陸部が十分に乾燥したおかげで、猿人たちは樹上生活をしつつ二足歩行もする系統(ルーシー)と、二足歩行専門の系統(ヒト属の先祖)の二つに分かれたのだ。
◆『ルーシーの膝 人類進化のシナリオ』 イブ・コパン著、馬場悠男・奈良貴史訳、紀伊國屋書店」、2002/4
◆2002年7月11日の 朝日新聞の第1面に「700年前の猿人化石
チャドで発見」とある。この記事が真実であるならば、著者イブ・コパンの提唱する「イーストサイドストーリー」に対する全くの反証となる。記事には――人類の祖先としては最古の約700万年前の猿人とみられる化石が、アフリカのチャド共和国で見つかった。これまで最古とされていた猿人より100万年ほど古く、東アフリカを人類発祥の地とする従来の説が覆る可能性も出てきた。――とある。張り出した額の特徴などから、頭骨は大人の男とみられる。頭蓋の容積はチンパンジーと同程度の350cc。形は類人猿に近いが、犬歯は短く、類人猿ほどとがっていないなどヒトに近い特徴を併せ持っていた。二足歩行をしたかどうかは判断できていない、とのこと。
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