■ 『雄と雌の数をめぐる不思議』 行動生態学入門 (2001.12.9)
本書のテーマは、「なぜ男と女の数はほぼ同数なのか?」ということ。単なる確率の問題なのだろうか。話はさらに逆のぼって、そもそもなぜ男と女、雄と雌がいるのか、ということになる。著者はこれを「遺伝子が生き残るためのメカニズム」という視点から論証しているように思える。性比が1対1になることについては、フィッシャーの理論を紹介している。リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』を思い起こさせる興味が尽きない1冊である。
なぜ性があるのか。性の起源は、現代生物学のもっとも大きな謎の一つであり、結論はまだ出されていない。性は、繁殖の手段として進化してきたのではなく、本質は遺伝子の組み換えにあるという。毎世代、遺伝子を組み換えるために、(1)有害な遺伝子の蓄積を避けることができる、(2)有利な遺伝子の組み合わせを作りだし広めたりすることができるのだ。
性は寄生者に対抗する手段であるとする説がある。性は、世代ごとに遺伝子を混ぜ合わせてしまうので、いったんできた有利な遺伝子の組み合わせをも壊してしまう。「有利な」組み合わせも「不利な」組み合わせもなく、ともかく、つねに遺伝子の構成を変え続けていくことこそが、性の本質であるとする。
寄生者とは、他の生物を食い物にして生きていく生物。病原菌、原虫類、ウイルスなど。寄生者に対抗するために、生物は、さまざまな方策を立てねばならない。免疫系も対抗策の一つ。寄生者は、進化速度が速くなる。宿主が、ある防御策をたてて寄生者を締め出したとしても、早晩、寄生者はそれを破るように進化してしまう。細菌やウィルスは種類も多く、次から次へと新しいタイプのものがやってくる。
そこで、何がやってくるかわからないのだし、最強の防御だとして作ったものも、時間がたてば必ず破られてしまうのであれば、宿主としてはやるべきことはただ一つ。つねにこちらの構造を変化させておくだけ。これこそが性の本質だというわけだ。
「フィッシャーの理論」とは、こうである。雄に偏った性比であれば、雌が適応度上有利となり、しかし、その有利性のゆえに雌の数が増え、雌の有利性も減少していく。雌に偏った性比であっても同じことがおこる。まさに自らの効果によってその有利さを打ち消してしまう。そこで、自然淘汰によって、性比は1対1になるように作られる。だからこそ、多くの生物の性比は1対1なのである。頻度依存淘汰の理論とも。
フィッシャーの理論は、多くの生物で性比が1対1であるのはなぜかを示した理論として有名。どのような条件が整っているときに、数の上での1対1の性比が実現されるのかを明確にした。それは、十分大きな集団で、交配がランダムになされており、雄の子と雌の子に対する親の投資量が等しいときです。この条件が満たされていない状況では、1対1からずれた性比が期待されることになる。
◆ 『雄と雌の数をめぐる不思議』 長谷川眞理子著、中公文庫、2001/11
◆長谷川眞理子 (はせがわ・まりこ) 早稲田大学政治経済学部教授(行動生態学)。1952年東京生まれ。東京大学理学部大学院修了後、同大理学部人類学教室助手、専修大学法学部教授を経て現職。進化生態学とくに繁殖生態学を専門とし、ダマジャカやクジャクの繁殖行動などを研究を研究。著書に『クジャクの雄はなぜ美しい?』(紀伊國屋書店)『進化とは何だろうか』(岩波書店)
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