■ 『キャスターという仕事』  <クローズアップ現代> 挑戦の日々 (2017.3.16)







興味をひく本があると、最近は図書館から借り出すことにしている。しかし、ちょっと話題の本なんかになると、恐ろしいことに数カ月待ちの状態になる。この国谷裕子さんの本は書店の店頭に平積みされていて、表紙の笑顔に引き込まれて思わず手に取ってしまった。<クローズアップ現代>が大きな挑戦だったことがわかる。






NHKテレビの報道番組 <クローズアップ現代>は1993年4月にスタートした、爾来23年間、3784本の放送を行い2016年に幕を閉じた。この期間、キャスターはずっと国谷裕子さんだった。第1回のコメントは、「この番組では毎週月曜日から木曜日まで、世の中の関心事に真正面から取り組み、掘り下げてお伝えしていきます」と。「真正面から」という言葉に、番組の制作を担っていく人々の、そしてキャスター自身の強い意気込みが伝わってくる。

テレビの映像は、人々の想像力を奪ってしまうほどパワフルである。キャスターには言葉しかなかった。国谷さんは、「言葉の持つ力」を信じることが、すべての始まりであり結論だったという。そして、「想像力」「常に全体から俯瞰する力」「ものごとの後ろに隠れている事実を洞察する力」、そうした力を持つことの大切さ、映像では見えない部分への想像力を言葉の力で喚起することを大事にしたという。

国谷さんは、かつて1989年から4年間、衛星放送の<ワールドニュース>のキャスターを担当していた。生放送を切り盛りしたり、複数のゲストたちとの討論を仕切るなどの経験が、<クローズアップ現代>の仕事に大きな力となったようだ。1989年前後には、歴史的な出来事が次々と起こった。天安門事件、東ヨーロッパ諸国での民主化の動き、ベルリンの壁の崩壊、等々。冷戦が終結していく歴史の節目で、グローバルな視点で多角的に一つひとつの事象をとらえる訓練だったという。

<クローズアップ現代>は幅広いテーマを扱った。政治、経済、事件、災害、国際、文化、スポーツ等々。1993年のスタート当初、日本は激動の時代に入ったかのように次々と大きな変化が起きた。バブル崩壊の痛みが目に見える形で現れ始めた。政治の世界でも経済の世界でもそれまで当たり前だったことがそうでなくなってきた時代だ。そのなかでワンテーマを深く掘り下げる連夜の報道番組 <クローズアップ現代>は、時宜にかなった番組となった。

キャスターには4つの役割・仕事があると国谷さんはいう。@視聴者と取材者との間の橋渡し役 (勉強と準備が必要)、A自分の言葉で語ること (テーマに対する切り口をわずかな時間で伝える)、B言葉探し (新しい事実や不明瞭なものを明確に言い表すこと)、Cインタビュー (専門家から貴重な発言を引き出す)。

どの角度からテーマに迫るかを視聴者に明確にするために、番組の冒頭には前説(まえせつ)を置いた。キャスターの視点を加えてコメントを練り上げた。作成には2時間から3時間かかったという。キャスターとしての勝負所だ。番組全体を俯瞰し、その先の影響の広さや背景の深さの気配を伝えたかったと。

ゲストとの打ち合わせでは、いつもブレイン・ストーミングのような対話をお願いした。インタビューはキャスターの能力と準備の深さが試されるものであり、それがさらけ出されるものだ。想定問答を練ったようなインタビューでは絶対にうまくいかない。相手の話を真剣に深く聞き、その人が何を言わんとしているのか、言葉に込められた大事なメッセージをしっかりとつかむことこそが必要なのだ。

視聴者に対してフェアであることを信条としてきた。わかりやすくするために、ある点を強調するとか、ある部分を隠すとかはしない。知り得たことは隠さない、視聴者には判断材料はすべて示す。その上で視聴者が同じように怒り、共感してくれることを期待する。聞くべきことはきちんと聞く、角度を変えてでも繰り返し聞く、とりわけ批判的な側面からインタビューをし、そのことによって事実を浮かび上がらせるようにした。

福島の原発事故では、正確な情報を提供するためにキャスターとして事態に向き合えていたのか。今も悩んでいるという。テレビでは政府・原子力安全・保安院、東京電力の会見が生中継され、安全であるとの楽観的な情報が繰り返し伝えられた。メディアは、自分たちの報道が混乱を引きおこすことを懸念し、安心安全情報を流すことに傾きがちだった。自分もその一員として緊急事態の中で目指したはずの多角的な報道をどう行うべきだったのかと。


◆『キャスターという仕事』 国谷裕子、岩波新書、2017/1

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